精神疾患の克服を目指した臨床・教育・研究
医学部/医学系研究科
尾崎紀夫 教授
2021年度退職記念講義
名古屋大学医学部はその源を尾張藩校に発し、130 年余の歴史と 13,600 人を超える卒業生を誇る日本でも最古の医学部の一つであると共に、21 世紀の日本を支える医学・医療の拠点として活動しています。 名古屋大学医学部の活動は、4 つの理念にまとめられています。 その要点は、
であります。 我々は、医学・医療を通じて社会に貢献することに深い使命感を持ち、国際的な視点を持って活動できる若い諸君の参加を願っています。
我々の重要な使命は、安全で安心な日本の医療を向上させつつ、国際的な視点を持って明日の医学・医療を開拓できる人材を育成することにあります。私達の教育の特徴は、自立性の尊重と国際感覚の涵養にあります。医学科の学部教育では、学生の自主性を最も重視し、3 年次に半年間の研究体験を提供し、その成果を国際学会、国際英文誌へ発表させています。6 年次には、英語能力の高い学生を選抜し、ハーバード、ジョンスホプキンス、デュ ーク、ウィーン、フライブルグ大学等、欧米の一流大学で臨床実習を体験させ、国際感覚を涵養しています。更に卒業後は、日本で最高レベルの関連病院で、学生の意思を尊重した卒業後教育を提供し、臨床能力の高い医師の育成を図っています。
「日本の医の拠点」として、名古屋大学医学部は、この 100 年余に渡り、大きな社会的使命を担ってきました。私は、先達が築き上げてきたこの歴史に深い誇りを持ち、その使命に応え得る人材育成が進むことを願っております。
医学部/医学系研究科長 木村宏 教授
医学部/医学系研究科長の木村宏教授に 5 つの質問に答えて頂きました。
医学部・医学系研究科の強み(醍醐味)を教えてください。
名古屋大学医学部はその源を尾張藩校に発し、150年の歴史と約14,000人の卒業生を誇る日本でも最古の医学部の一つであるとともに、21世紀の日本を支える医学・医療の拠点として活動しています。
医学の勉強・研究は当然のこと、それ以外のこともぜひ学生生活の間に取り組んでほしいと思います。名古屋⼤学は研究大学を目指しており、学部生にも基礎/臨床研究を奨励していますので、研究室に配属して研究するのも良いですし、サークル活動に専念する、ボランティア活動を行う等、何かひとつ新たなことを始めてほしいです。大学院生ですと英会話力の強化などがよいでしょうか。
私たち医学部・医学系研究科は、以下の4点を使命に掲げています。1) 人類の健康の増進に寄与する先端的医学研究を進め、新たな医療技術を創成する、2) 医の倫理を尊重し、人類の幸福に真に貢献することを誇りとする医学研究者及び医療人を育成する、3) 医学研究、医療の両面にわたり諸施設と共同して、地域社会の医療の質を高めるとともに、我が国及び世界の医療水準の向上に資する、4) 医学研究及び医療の中軸として機能するために、人的・社会的資源を有効に活用し、世界に開かれたシステムを構築することです。
学部4年生の時に、研究室配属を経験したことですね。精神科の研究室に配属され、睡眠脳波の研究を体験しました。実際に医学研究をしている方々(教員・大学院生)に触れることで、医学が研究者によって形作られていくものだということを実感しました。この研究室配属は、現在、医学部3年次に半年間組み込まれ、名大医学部の教育を代表する特色あるカリキュラムとなっています。
私たちは、医学・医療を通じて社会に貢献することに深い使命感を持ち、国際的な視点を持って活動できる若い諸君の参加を願っています。最先端の研究に触れ、自ら考え実践する機会を得てください。6年次には海外の提携校での臨床実習の機会も設けています。
(令和4年 6月2日)
私は1970年に名古屋大学を卒業し、形成外科を志して東京警察病院で研修いたしました。ちょうどその頃マイクロサージャリーによる組織移植が世界で試みられ画期的な効果をあげ、東京警察病院が世界のトップランナーでありました。そのマイクロサージャリーが私のライフワークになりました。1978年に名古屋大学に戻ってきて31年間お世話になりました。名大病院に形成外科が開設されたのは今から23年前の1986年 ....
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学生時代から含めて45年間名古屋大学にお世話になった。終戦の年に生まれ、東京オリンピックの年に大学に入り、高度経済成長期を過ごし、やがてバブル期を迎え、ソ連も崩壊した。激動の時代であった。昭和61年私は名古屋大学医療技術短期大学部衛生技術学科に教授として赴任し、免疫学の教育に従事した。ここでは教育が中心で、研究設備としては学生の実習室しかなかった。当時、医療短大を4年制化することが念願であった ....
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生物としてのヒトが生きていくために、体内では数え切れないタンパク質が必要であり、また巧妙な仕組みによる生命維持システムも存在しています。出血を防ぐ凝固機構もこれら生体防御機構の一つです。血液が凝固する最終基質であるフィブリノゲンの分子異常(遺伝子異常)の患者さんとの出会いが私の人生を決め、羅針盤ともなりました。臨床医として多くの患者さんと出会うことができ、先天性出血性疾患、血栓性疾患の患者さん ....
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私は本年3月末で名古屋大学を退任いたしま す。学生または医師として鶴舞の医学部/附属 病院にて 37 年間を過ごさせて頂きましたので、鶴舞にはつらい思い出や楽しい思い出が数多く 残っています。若い時のつらい思い出としては、学位研究であります。良いデータを得るのに時間がかかり論文作成に苦労しました。楽しい思い出は、そのデータを用いてアメリカ消化器病学会で発表が出来たことです ....
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医学系研究科、ヤング・リーダーズ・プログラム、医療行政専攻 坂本 純一私が名古屋大学医学部に入学したのは1969年、大学紛争の真最中でした。この年は中部地区だけでなく関東地方ほか日本の各地から様々な学生が名古屋に集まり、互いに切磋琢磨して独特な雰囲気を醸し出していた学年だったと記憶しております。医学部卒業後直ぐ、親しい友人である野村隆英先生、小長谷正明先生と語らって大学院に入学し、近藤 ....
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家族看護とは何か,家族看護における看護職の役割,健康問題を中心にした家族看護アセスメント方法および家族全体のQOLに資する援助方法の基本について講義する。 1. 家族看護の定義と目標および家族看護学の主要な理論について説明できる。 2. 家族の発達段階とその特徴,各期における家族の発達課題について説明できる。 3. 家族アセスメントの目的と方法の概要が説明できる。 4. 健康 ....
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この講義は癌の発生や浸潤・転移に関するメカニズムの基礎を学ぶキャンサーサイエンスコース内で開講されている講義であり、腫瘍学全般に関する歴史的背景から最新の研究動向までを概観する講義です。 ....
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吉田 純 医学研究科教授 退職記念講義名大トピックス178号 23ページにて、吉田教授の定年退職にあたってのご挨拶をご覧いただけます。* [名大トピックス178号](http://www.nagoya-u.ac.jp/about-nu/public-relations/publication/upload_images/no178.pdf) (PDF 文書, 7040KB) ....
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名大名誉教授にさせていただき、これからはOBの立場から、名大の益々の発展に私なりに少しでも貢献できればと考えています。 退職の直前には、名大OCWのご協力により、最終講義や名大医学部戦没者名簿につき映像によるメッセージを残しました。医学部戦没者名簿については、2013年秋の医学部学友大会で南海トラフ大地震の話を福和伸夫先生にしていただくことになり、大地震も戦争も一度に多くの人が亡くなる点で ....
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このページの紹介動画は、濵口先生からの「後輩へのメッセージ」です。 最終講義の資料と映像は「講義資料」の項でご覧いただけます。 ....
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名大トピックス202号 24ページにて、古池教授の定年退職にあたってのご挨拶をご覧いただけます。 * ....
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1969年に名古屋大学に入学して1975年に卒業しましたが、教授として赴任したのは1997年です。いわゆる「東大安田講堂の攻防」があり東大入試が中止となった年に入学してから6年間の学生生活は、それまでの私の人生になかった疾風怒濤の時代であり、また大学にとってもダイナミックに揺れ動いた時期でした。1984年から5年間のニューヨークスローン・ケッタリング癌研究所での留学時代、1989年からの長崎大 ....
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私は昭和50年名古屋大学医学部を卒業し、内科医として計4年勤務後、母校に血液内科医として戻ってきました。その後、免疫学教室に移り、研究と教育に従事しました。英国への留学、国立長寿医療研究センターと多彩な場所での研究生活を送り、最後に10年間母校の教授ができたことはとても恵まれていました。私が卒業した頃と現在を比較しますと、研究の面でも医学の臨床の面でも、とても進歩しました。日本中の人が世界に追 ....
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名古屋大学に奉職して16年になりますが、よく言われる医学部教授の研究、教育、診療の3つの使命のなかで、私にとっては診療の占める割合が最も大きなものでした。小児科医としての40年間に小児病院と大学病院に勤務しましたので、その相違について言及してみたいと思います。まず、最初に触れておかなければならないのは、日本の小児病院が、海外の小児病院とは、違った形態をとっていることです。海外の小児病院は、その ....
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精神障害の特徴は、中枢神経系高次機能の障害としての生物学的特性を有する点と、個人を取り巻く心理・社会的要素が環境因子としてその病態や臨床に影響する、という点にある。したがって、生物・心理・社会という多面的なとらえ方が、精神障害の理解においては重要である。本講義においてもこの点に留意して、精神症状の把握・評価、検査、薬物療法を中心とした身体的治療、精神療法(心理社会的治療)、精神障害の成因論とい ....
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最終講義の資料と映像は「講義資料」の項でご覧いただけます。 ....
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2017年 3 月をもって名古屋大学を退任することとなりました。最初に、1998年10月に着任以来お世話になった先輩の先生方、同僚の皆さん、後輩の皆さん、事務の方々に感謝の意を表しておきたいと思います。総合診療科は「全ての健康問題の窓口」となる診療科で、名大では私が赴任してから本格的な部門創りが始まりました。まず外来診療を名大病院の一室で開始し、その後数年して入院診療も開始しました。当初複 ....
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医学部に保健学科が設置されたのが19年前の平成10年 4 月です。以来そこに籍を置き、今回退職するまで名古屋大学にお世話になりました。放射線技術科学専攻を擁する国立大学では大阪、金沢に次いで 3 番目です。その後、全国で11の国立大学が設置されましたので名古屋大学は比較的早い方だったと思います。この専攻は、診療放射線技師を養成しており、その学問領域として放射線技術学を標榜しています。これは診療 ....
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2004年5月当時の胸部外科学講座に助教授としてお招きいただき、およそ15年間お世話になりました。卒後長らく一般病院に在籍し50歳にして初めて大学に戻りましたので、当初は診療以外の教育・研究に戸惑うことも多々ありましたが、多くの皆様のご協力を得て、曲がりなりにも務めを果たせたかなと思っております。2013年4月には胸部外科学講座から分離独立させていただき、名古屋大学に初めて呼吸器外科学講座 ....
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1972年に医学部の教員となって以来、37年間名古屋大学で過ごしたことになります。1998年から新設された保健学科でしたが、学部運営の確立、博士前期課程、さらに後期課程の立ち上げと、教育研究組織の整備に多くのエネルギーを注ぎました。新しい保健学科をつくるという夢のある時間でもありました。博士課程設立後には、自治体や企業の保健師さんが大学院に入学してきて、私の研究フィールドも広がり、研究テーマも ....
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授業の内容:本セミナーを受講することで、自分の意見を他者に伝える・聞くことを意識した15回構成としている旨を学生に伝えている。また、一般的に「看護師とは何をする職業か」のイメージはついても、「看護師の研究」を捉えることが難しい。そのため、3年生より始まる卒業研究、博士課程への進学につながるように、「女性と健康」をテーマに、自ら課題を見つけ、取り組むようにしている。 ....
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本授業は,18歳未満の発達期になんらかの障害をもった子どもたちが乳幼児期から成人,老年期に至るまでの作業療法の治療理論と技術を学習し,身につけることを目指しています.病気や事故から生じた障害と共に,子どもたちが自分らしく社会と共生しながら,自己実現できるような支援体制の中で,子どもたちにとって意味のある作業活動(例えば,日常生活活動,遊び,趣味,学習,買い物,レジャーなど)を手段として作業療法を実 ....
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私は、本年3月31日をもって名古屋大学を定年で退職します。 平成10年4月に、名古屋大学医学部附属病院の第一内科学講座から新設された医学部保健学科に赴任し、以来17年間をここ大幸地区で過ごしました。 赴任した当初は、学科自体が名古屋大学医療技術短期大学部から4年制大学へ改組された新たな出発でしたので、学科としての歴史がなく不安な面もありましたが、逆に自分たちの考えを生かして教育、研究を ....
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病理学はヒトの病気の成り立ちを学ぶ「基礎と臨床の架け橋」となるコースであり、総論・各論と症例検討より構成される。 * 総論では、疾病の原因および本質に関する一般原則を考究する。特に、疾病時の肉眼的・組織学的変化および細胞小器官の変化について学習する。実習として形態学的観察ならびにそのスケッチを行うことにより、講義内容について、より具体的なイメージを持つことができるよう指導する。スケッチのため ....
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私は平成7年4月に名大に赴任しましたので、この3月でちょうど20年になります。この20年間に名大全体あるいは医学部/医学系研究科、附属病院は大きく変わったと思います。まず第一は法人化だと思います。中期目標・中期計画を立てて、研究・教育・診療を推進し、その達成度の評価を受けるというやり方は、それまで大学にはなかったシステムです。本来大学は個人が自由にものを考え実践する場で、これは大学にはふさわし ....
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誰しも一度は心に浮かぶ「私とは何か?」、「私はどこから来たのか?」という疑問は、ギリシャ・ローマの時代から提起されている、人間にとってもっとも根源的・普遍的な疑問です。私たちの学ぶ医学は、病気を対象とする科学であると共に、この「私とは何か?」という疑問を物質的な基盤から追及してきた学問でもあります。この講義では、生物の化学で学んだ私たちの体を構成する物質についての知識を元に、私たちの遺伝とは何 ....
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消化器の総論、各論を12回の講義で行う。内容は、消化器疾患(食道・胃・大腸・肛門などの消化器疾患と肝、胆、膵疾患)の診断と治療の基本と最近の進歩について具体的に学ぶ。 ....
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名古屋大学医学部および大学院医学系研究科の中で外科系分野では,研究を推進するとともに,外科医を教育・育成することが重要な使命です。しかしながら,大学では研究が重視されて,外科医のスキル(直訳は技術ですが「医術」に相当します)の教育がやや下位になっていたことは否めず,臨床重視の外科医育成が行われていたとは言い難い状況にあったように思われます。外科医に求められることは,手術で常にその力量を十分に発 ....
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大学人の使命は言うまでもなく研究・教育ですが、これらに医学部の臨床教室ではさらに臨床(昨今では“収益を上げる臨床”)が加わります。名大で12年6カ月、その前の秋田大学で4年、その前の東北大学にて16年半、合計33年の大学勤務もこの3月で終わります。上を見ればきりがないのですが、大学人としては合格点に十分達したと自分では思っています。私は30数年メラニンを生成する色素細胞(melanocyt ....
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私は名古屋大学医学部を1976年に卒業し、医師としての研修を終えて、81年に大学へ戻ってきました。医学部ではこれを“帰局”と称し、学位取得が主な目的でした。当初、私自身は箔をつけて再び病院へ出ようと考えていたのでしたが、研究が面白くなり、ズルズルとお世話になりました。面白くなったきっかけの一つは、理学部で分子生物学(者)と出会ったことですが、90年代からの“がん分子標的治療”の流れにうまく乗れ ....
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「発生学」は毎年、最も劇的に、研究成果が教科書の修正や加筆につながっている分野である。再生医療や生殖医療など、社会的な討論のタネとなる話題もきわめて豊富である。つまり、みずみずしく生きている。また、「発生」はじつは「ガン」の「知恵袋」であるので、その営みを知ることが「ガン」の「悪知恵」を暴きその営みを封じることにつながる。加えて、医学科学生が学ぶ「発生学」には、発生過程をひとつの「正常モデル」とし ....
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名古屋大学ですごした20年余りの内、最後の8年間は大幸保健学科で教鞭をとりました。同じ医学系研究科でも鶴舞と大幸ではキャンパスの雰囲気は異なりますが、自然については大幸キャンパスでのことが印象に残っています。 まず、敷地が広く、グラウンドからは名古屋ドームの屋根が望まれ、運動する学生達の掛け声が聞こえてきました。建物も低く、こじんまりしていて学生や職員の間に家族的な雰囲気がありました。ただ ....
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向春の候となりましたが、研究室からはまだ冠雪した信州の山並みが望まれ、厳しい故郷の残寒を感じるこの頃です。 私は主に化学物質の毒性学を専攻してきました。中毒対応型研究は毒性学の代表的スタイルですが、予め化学物質の毒性とその分子基盤を解析し、リスク評価・リスク管理・リスクコミュニケーションに繋げる「リスク対応型研究」も社会医学においては必須です。この種の代表的な研究として、プラスティック可塑 ....
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名古屋大学医学部を昭和48年に卒業し、二つの病院での臨床修練を経て昭和55年に第二外科に帰局後、31年が経過し本年退職させていただくことにしました。最終講義としてこのようなタイトルを選びましたのは名古屋の外科140年の歴史を振り返るとともに名大病院のさらなる発展を願う思いからです。 明治4年徳川慶勝により名古屋藩立仮病院、仮医学校が創設されたのを名古屋大学医学部の創基としますと本年で140 ....
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