タグ「大学院」には 22 個の授業があります.

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私は、1978年に大阪大学で博士課程を終了し、東北大学、科学技術振興機構に勤めた後1995年に設置されたばかりの理工科学総合研究センターに赴任いたしました。それから丁度20年、名古屋大学で教育・研究に従事させていただきました。主分野は電子顕微鏡学で、装置や手法の開発に携わって来ました。有難いことに、本学では学生の教育とともに、自由に研究することが許され、いろいろなプロジェクトで楽しく研究をさせ ....

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この授業は、大きくは総説編と各説編の二部構成になっており、総説編では名古屋大学の歴史を通 史的に解説し、各説編ではテーマを設定して、より詳しく説明する。 ....

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この授業は、大きくは総説編と各説編の二部構成になっており、総説編では名古屋大学の歴史を通史的に解説し、各説編ではテーマを設定して、より詳しく説明する。 ....

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この授業は、大きくは総説編と各説編の二部構成になっており、総説編では名古屋大学の歴史を通史的に解説し、各説編ではテーマを設定して、より詳しく説明する。 ....

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平成24年 4 月に薬学系の独立研究科として創薬科学研究科が設置されるのに伴い、京都大学大学院薬学研究科から異動してきました。それから、 5 年間があっという間に経ち、本年 3 月に定年退職を迎えることになりました。その間、新しい環境になれない私を暖かく親切にサポートしていただいた教授会の先生方、事務の職員の方々に篤く御礼申し上げます。赴任時には、理学部 B 館の 4 階の教授室に一人でおり、 ....

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1983年に名古屋大学に着任して以来、本学には31年間お世話になりました。 1975年、大学院の学生だった私は、助手へのお誘いを受けて前任の大学の教員になりました。当時の国立大学教員の給与は景気の良い民間企業と比べて低めで、一流と言われていた民間企業に就職を果たした友人達からは何を好き好んで大学にと言われましたが、給料をいただいて勉強ができるという、他では得られない自由な時間を手に入れるた ....

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この授業は、大きくは総説編と各説編の二部構成になっており、総説編では名古屋大学の歴史を通 史的に解説し、各説編ではテーマを設定して、より詳しく説明する。 ....

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名古屋市立大学での16年間の勤務の後、1999年名古屋大学に赴任し、14年間の歳月が立ちました。40代までは自分の人生の長さは無限のように思って生活していましたが、名古屋大学に来てからは、残り10年余の限られた貴重な時間の充実した研究・教育の場にしたいと思ってやってきました。このような思いもあって、大学院の重点化や大学の独立行政法人化とめまぐるしく大学改革が進む中で、落ち着いて研究・教育に専念 ....

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私は、大学院で学位を取った後、旧科学技術庁・航空宇宙技術研究所 (NAL) に入所し、先進複合材料、特に炭素繊維強化プラスチック (CFRP) の研究に携わってきました。 NAL が宇宙航空研究開発機構 (JAXA) に統合され、その基礎研究・航空部門の管理者を務めた後、最後の3年間、再び研究開発及び教育に注力すべく、本学に着任いたしました。研究開発独立行政法人と大学には、やはり目的意識・研究 ....

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私が名古屋大学法学部に助手として採用されたのは1979年4月であり、この3月で勤続37年ということになる。ただしその前に大学院生として5年間在籍したこともあり、名古屋大学での私の生活は42年となる。まだ大学紛争の熱も冷めやらぬ京都大学を卒業し、本学の大学院に進学した私にとって、本学の雰囲気はとても平穏であり、ここで、横越英一先生をはじめとする素晴らしい指導教授の下で研究に没頭できたことは、 ....

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この授業は、大きくは総説編と各説編の二部構成になっており、総説編では名古屋大学の歴史を通 史的に解説し、各説編ではテーマを設定して、より詳しく説明する。 ....

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1994年に理化学研究所から理学研究科に異動してきました。学部と大学院での勉学・研究生活も含めれば、名古屋大学には32年の長きに亘りお世話になりました。自由な雰囲気の下で研究を続けさせていただき、心から感謝しています 振り返ってみますと、新しい場所に移るたびに研究テーマを大きく変えてきました。名古屋大学に赴任した時に掲げた研究テーマは膜タンパク質の反応状態の構造解析でした。当時の私にとって ....

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医学部に保健学科が設置されたのが19年前の平成10年 4 月です。以来そこに籍を置き、今回退職するまで名古屋大学にお世話になりました。放射線技術科学専攻を擁する国立大学では大阪、金沢に次いで 3 番目です。その後、全国で11の国立大学が設置されましたので名古屋大学は比較的早い方だったと思います。この専攻は、診療放射線技師を養成しており、その学問領域として放射線技術学を標榜しています。これは診療 ....

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私が今年名古屋大学を無事退職することができるのは5人の師匠のお陰だと心から感謝しています。学生運動が盛んな昭和44年に入学し、有り余る時間に陸上部長で指導教官だった三浦望慶先生の体育の実験を手伝いました。これが自然を科学する喜びを教えてくれた最初だと思います。 次は早川幸男先生、田中靖郎先生、山下広順先生です。学生の私は早川教授室へ行くのに決心が必要でしたし、ピリピリした緊張感の中でご指導を受 ....

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1972年に医学部の教員となって以来、37年間名古屋大学で過ごしたことになります。1998年から新設された保健学科でしたが、学部運営の確立、博士前期課程、さらに後期課程の立ち上げと、教育研究組織の整備に多くのエネルギーを注ぎました。新しい保健学科をつくるという夢のある時間でもありました。博士課程設立後には、自治体や企業の保健師さんが大学院に入学してきて、私の研究フィールドも広がり、研究テーマも ....

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私が名古屋大学で過ごした期間は42年になる。1977年に大学院に入学し、1984年から助教授として教壇に立つことになった。この約40年間を振り返ると、高度成長から低成長、さらにはゼロ成長への転換があり、国際的には冷戦の終結と社会主義の崩壊があった。他方では、大学院時代には夢にも思わなかったICTの急速な発達によって、原稿は手書きからパソコン入力に変わり、資料の入手もほとんどがネットで可能にな ....

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私は、本年3月31日をもって名古屋大学を定年で退職します。 平成10年4月に、名古屋大学医学部附属病院の第一内科学講座から新設された医学部保健学科に赴任し、以来17年間をここ大幸地区で過ごしました。 赴任した当初は、学科自体が名古屋大学医療技術短期大学部から4年制大学へ改組された新たな出発でしたので、学科としての歴史がなく不安な面もありましたが、逆に自分たちの考えを生かして教育、研究を ....

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私は平成7年4月に名大に赴任しましたので、この3月でちょうど20年になります。この20年間に名大全体あるいは医学部/医学系研究科、附属病院は大きく変わったと思います。まず第一は法人化だと思います。中期目標・中期計画を立てて、研究・教育・診療を推進し、その達成度の評価を受けるというやり方は、それまで大学にはなかったシステムです。本来大学は個人が自由にものを考え実践する場で、これは大学にはふさわし ....

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私は1993年から24年間お世話になりました。1970年に法学部に入学し、大学院と助手も含めての10年をあわせると34年間になります。学部入試会場が工学部の旧一号館で、よそ者ながらあの建物は好きだったので、なくなったのにはがっかりしました。講義を受け、演習をし、書を読み、覚醒させられ、ささやかな学問的達成感を持ったのは、改築前の法学部棟においてでしたが、学部生や院生が集い談笑するための学生控 ....

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定年に際し感想を書け、ということですが、いろいろあったなという想いが先行し、なかなかまとまりません。18年前に名大に戻った時には予想もしなかったことがいろいろあり、長かったようで、短いような感じに捉われます。いつかくる定年の時には、静かに来し方行く末を考えてみたいと思っていましたが、現実は、例年と全く同じような速度で時間が流れて行きます。 とはいえ、改めて思えば、これまでの皆さんのご厚情に ....

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名古屋大学にドイツ語講師として着任してから、24年もの年月が過ぎてしまいました。この度無事定年退職ができるのも、ひとえに素晴らしい同僚たちや職員の方々、そしてとりわけ優秀な学生たちに恵まれたおかげであり、この場を借りて心から感謝の気持を表したいと思います。 愛知県に生まれ、またこの地で育った私にとりましては名古屋大学の評判は昔から大変良く、いつかそのような大学で仕事ができるとは夢にも思いま ....

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