2016年、天皇の退位問題が話題となりました。それ以降、象徴天皇制に関する議論や話題は新聞・テレビなどで盛んに取り上げられています。これを見ても、日本社会にとって、天皇制は重要な問題だということがわかります。そもそも、なぜ天皇制をめぐる議論が起こるのでしょうか。日本社会において、天皇とはどのような存在なのでしょうか。退位にはどのような意味があるのでしょうか。象徴天皇の「象徴」とは何なのか。こうした ....
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授業一覧
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39年前に右も左も分からぬ名古屋に赴任して以来、名古屋大学にも29年在職させてもらいました。独文研究の日本的独りよがりを若気の至りで批判し、突っ張り者として類例のない研究を貫き通せたのは、名古屋大学の自由な学風のおかげと、心底感謝しています。ただ歩んだ道をふり返り、まわりを見回せば、国際的な行き来こそ容易になったものの、文学研究も大学や社会の行く末も、文字思考の限界から生まれた数値成果主義 ....
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いつも親切に対応してくださった事務職員の方々や協力して下さった同僚の先生方、向学心旺盛な学生たちに支えられて、24年間にわたって教育研究に携わることができましたことに、感謝の気持ちで一杯です。心よりお礼を申し上げます。国際シンポジウムを日本とフランスで7回にわたり開催したりフランス文学会の全国大会を引き受けたりしたのも、名古屋大学に在職していればこそできたことでした。学生たちと授業や木曽高原 ....
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1987年に文学部印度哲学史講座助手として赴任して以来33年間名古屋大学にお世話になりました。1973年に名古屋大学に入学したので、途中でインド留学が3年程ありましたが、半世紀近くこの東山地区に関わったことになります。学生時代は、インド留学時代も含めて師に恵まれて幸運でした。先輩や後輩、友人と楽しい時を過ごしたことも忘れられません。研究室(現インド哲学分野・専門)の運営では同僚の方々の力の大き ....
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以下のトピックについて学びます。扱うトピックは、 1. 個々人がどのように異なる言語やスタイルを使い分け、コミュニケーションにおける課題を解決しているか、また 2. 個々人の言語活動が、言語変化などより大きなスケールでの現象とどのように結びつき、また社会はそれにどう対応していくのかという2つの問題に大きく分けることができます。授業中は、英語による議論への積極的参加が求められます。 ....
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1973年4月に大学院文学研究科の修士課程に入学して以来今年3月の退職まで、私の名古屋大学での生活は43年及びます。初めは大学院生として、1980年に助手となってからは教員として、同じ文学部に通いました。文学部の建物は耐震改修されましたが、骨格は40年前と変わりません。三階の暗い廊下を歩いていると、ふと、40年前のまだ何になるのか解らない自分に出会う気がします。当時の国史学研究室(現在の日 ....
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名大に27年間務めました。最初は文学部の共通講座に属してギリシア語・ラテン語を教え、赴任後 7 年目の大学院重点化では、周囲に支援されて西洋古典学という新講座を立ち上げることができました。その後20年間、古典教育を通じて様々な学生に出会い、また自分の西洋文化研究も存分にさせていただきました。特に文学研究科という多彩な人材に溢れた学問的環境の中で多方面に視野を広げ、専門研究の新しい可能性を探る ....
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「モデル問題」は、小説の登場人物のモデルとされた者が、何らかの形で抗議することによって起こります。明治以来、さまざまな「モデル問題」が生じましたが、それが〈問題〉となった理由もまたさまざまでした。小説家がなにを書きたいのか、モデルは何に腹を立てたのか、どのような文芸思潮がその時代を支配し、どのような「常識」が人々を規定していたのか。複雑な要因が絡み合って起こる「モデル問題」を時系列にそって眺めてい ....
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この授業は、コンピューターを用いて音声を音響的に分析し、その特徴を抽出する手法を習得することを目的とする。授業ではあらかじめ用意された音声を素材として分析を行い、その結果として得られる画像や数値から、人間の声の成り立ち、音と音を識別するための手がかり、連鎖による音の変容、発話における韻律的特徴など、言語音声の性質やそこに生じる現象について、音響の側面から理解を進めていく。参加者はテーマごとに理論面 ....
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名古屋大学の教養部に文学の講師として着任してから、37年もの年月が過ぎてしまいました。教養部を改組して人間情報学研究科を立ち上げることに関わり、その社会情報学専攻で情報文化学などを構想しました。やがて文学部と文学研究科に移籍して現在に至っています。その間、他大学から引く手あまたの時期もありましたが、ともかく名古屋大学に居座り続けたのは、名古屋という土地とこの大学が好きだったからでしょう。そ ....
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