古代懐疑主義-2016

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講師金山弥平 教授
開講部局文学部/人文学研究科 2016年度 前期
対象者学部2年生以上 (2単位)

授業の工夫

名古屋大学で教え始めた当初は、講義形式の授業において基礎的な知識を万遍なく示すことを心がけていました。

私自身、恩師から講義で示された基礎知識がその後の研究の基礎を形成したからです。

しかし、ある時期からこの授業の形態に疑問も生じてきました。知識であればこの私の授業に出なくても、さまざまの本を読むことで得られるのではないか、という疑問です。その疑問を、かつて私の授業に出てくれた若手研究者に問うたところ、きちんと体系立てて示してもらえるのはありがたいと言ってくれました。

しかし、すべての学生が研究者になるわけではありません。そもそも大学で学んだことの多くは、「学んだこと」で「覚えたこと」を意味するとすれば、実際の社会に出て特に役に立つわけでもありません。そのため、大学で一生懸命勉強しても意味ない、むしろカンニングなど努力なしでうまくやっていくことの方が重要だ、と短絡的に考える学生もいないわけではありません。しかし、そのような考えの人たちは実生活を甘く見過ぎています。自らの脳を鍛えることなく大学生活を送った人たちは、社会に出て働くための基礎となる力を育てる絶好の機会を失っています。

大学とは「学び方を学ぶ」場所であり、学び方をしっかりと学ぼうとするとき、トレーニングの素材として、多くの知見が多様な仕方で必要とされます。意味のないように思えることでも、地道に取り組む必要が出てきます。最も大切なのは、学ぼうとする意欲と地道な努力、抽象的事柄をも具体的に考えるイマジネーション、このような見方もあるのかという新たな発見、そこからさらに掻き立てられる意欲、「ひょっとしてこうも考えられるのではないか」という楽しみながらの発想、それを検証していくこだわりです。それこそが、実生活で役立つ大学での学習なのです。

それゆえ、講義形式の授業において重要となってくるのは、ある程度の体系的・基礎的な知識を伝えつつ、そこに垣間見られる各哲学者の各思想がどのような可能性をもっているのか、できるだけ具体的に、分かりやすく、現代的問題・知見と関連づけて説明することです。したがってギリシア哲学の全体を半期、ないしは通年で表面的に追っていく、というようなことはしません。例えば、今回「アルファベット、初期ギリシア哲学」の授業の資料ファイルをお示ししましたが、この全体を授業で説明するだけでも、約2年は必要とされます。そして実際授業では、最終的にこの10倍以上の量の資料を配ることになるのです。

一時期、パワーポイントに凝ったこともあります。「探求の学としてのギリシア哲学―幸福と哲学―」の授業のパワーポイントのスライドも示してありますが、その中には音楽入りのアニメーションも取り入れました。しかし、パワーポイントでは学生の皆さんはどうしても受け身になり、暗いなかでウトウトと眠りはじめます。また、トンネルの世界であって、いったん入ると横へ逸れることはできません。人間の思考は直線的ではなく、一つの地点からいくつも放射状に手を伸ばし、ネットワークをなして展開していくにもかかわらず、パワーポイントは、その思考パターンに反して、出口を目指して水平的に道を辿っていくのみです。さらに、パワーポイントを通して示される1画面の空間は限られており、たくさんの情報の同時的比較を可能にすることはありません。

そこで利用したのがマインドマップです。これは俯瞰的に全体を見渡させてくれますし、あらゆる方向に道がつながっています。しかし、人間の思考はマインドマップで書き表せないほど複雑であり、私のマインドマップは、ついついごたごたしたものになってしまい、結果的にマインドマップとして使い勝手の悪いものになってしまいました。3枚お示ししたマインドマップのうち、比較的簡素に見える「哲学1」のマインドマップが最も使い勝手がよいと自分では思っています。ただ授業で教える自分自身にとっては、「哲学2」「哲学3」の方がいわば重装備のマインドマップであり、より大きな安心感を与えてくれる、というのも事実です。

しかしまた、マインドマップだけでは不十分です。チョークと黒板(あるいはマーカーとホワイトボード)がどうしても必要になってきます。パワーポイントはこれらの道具を必要としないのに、それよりも優れたマインドマップがどうしてそれらを必要とするのか、不思議な気もしますが、たぶんそれは、俯瞰的図柄を示すマインドマップの目的が、トンネルの出口にまで導いていくというパワーポイントの目的とは異なっているからなのでしょう。

板書をすると学生はそれをノートに筆写すべく手を動かします。手を動かすことによって脳は活性化します。また黒板はトンネルの世界ではありません。その都度の授業で主題となっていることについて黒板に書いていくと、そこには思想の大きな地図が展開されますが、説明を理解しながら、それが具体的なイメージとして黒板上に展開されていくのを視覚的に捉え、またノートに筆写するなかで、各自が、その複雑な地勢図を自らの頭の中に取り込んでいきます。そして私が、あっちを指さし、こっちを指さすことによって関連を示していくと、学生の皆さんは、遠くにあるように見えて実は非常に近いつながりの新たな発見をするのです。そうした学生の発見が、空気を伝わって感じられることが時たまありますが、これこそが授業の醍醐味でないかと思っています。

なお、英語による講義ですが、Time(時間)をテーマにし、パワーポイントを用いた講義ビデオを、次のURLで見ることができます。

http://intercontinental-academia.ubias.net/nagoya/media-center/videos/intercontinental-academnia-second-phase-nagoya-thursday-march-10-lecture-by-yasuhira-kanayama

授業の目的

前期は、古代懐疑主義を学びます。skepticism(懐疑主義)は、ギリシア語のskepsis(考察)から来ている語です。

ギリシアではskepsisは、幸福に至る道として積極的・肯定的な意味を持っていました。これに対して、中国語、日本語の「懐疑」、すなわち「疑いを懐に抱く」という意味の語には、「猜疑」「嫌疑」「疑心暗鬼」がそうであるように、極めて否定的な響きがあります。 そのよって来るところにも言及しつつ、古代懐疑主義の独自性を模索していきます。古代懐疑主義の歴史的変遷、その独自性を見ていくことにより、人間・世界・世界のなかでの各人間の生き方、言語と理性が人の幸福を左右する力、等々の問題を古代ギリシア哲学者の思想を参考に考察していくつもりです。

この授業が、人間と世界への洞察力を養う助けに少しでもなればと思います。

授業の内容・方法

講義で扱うテーマはおおよそ次のとおりです。

「懐疑」に関する西洋と東洋の比較。懐疑を巡る西洋哲学の歴史。古代懐疑主義の先駆者たち。古代懐疑主義の創始者とされるピュロンの立場。アカデメイアの懐疑主義とストア派の立場。アイネシデモスが興したピュロン主義の哲学。セクストスに認められる10の判断保留の方式。 これらの主題の検討を通して、懐疑を生きることの意味について、また古代哲学と近現代の哲学の基本的相違等についても考察していきます。

いろいろな領域の問題を繋げつつ、皆さんの質問にも答えながら授業を展開していくつもりですので、一つのテーマに関する話が長くなる場合もあり、場合によっては上に挙げたテーマのうちカバーできないものも出てくるかもしれませんが、その場合にはお許しください。

皆さんからの活発な質問を期待しています。

教科書・テキスト

教科書として、J.アナス、J.バーンズ『古代懐疑主義入門―判断保留の十の方式』(岩波文庫)を用います。 また必要な資料を適宜、コピーで配布します。

参考書

セクストス・エンペイリコス『ピュロン主義哲学の概要』、『学者たちへの論駁1』、『学者たちへの論駁2』、『学者たちへの論駁3』、A.A. ロング『ヘレニズム哲学』(いずれも京都大学学術出版会)。 その他、授業で紹介します。

受講生の自宅学習

講義が中心で、しかも哲学の話は直線的には進まず、回り道もして進むので集中力が要ります。また哲学の思考法には皆さん、慣れていないと思います。しかし、抽象的な事柄をできるだけ具体的に考えていけるというのは、あらゆる方面で有益な能力です。教科書として採用した本や、授業で紹介したテクストを自宅学習で読んでみてください。

成績評価の方法と基準

出席と期末定期試験を、およそ半々の割合で総合的に判断します。遅刻すると、それまでの話が分からなく講義についていけませんので、遅刻は原則として出席の半分に数えます。

連絡方法

オフィスアワーは火曜18:15~19:30、研究室330です。メールでのアポイントメントも可です。

講義資料

探求の学としてのギリシア哲学

アルファベット、初期ギリシア哲学

マイントマップ哲学1-3プラトンまで


投稿日

May 16, 2020