タグ「助手」には 11 個の授業があります.

私は2015年3月末をもって名古屋大学を定年退職します。名古屋大学在職中に関係の皆様から寄せられたご厚情に対し、心よりお礼申し上げます。私は名古屋大学において、2つの部局でお世話になりました。医学部 (医学系研究科) と教育学部 (教育発達科学研究科) です。私は医学部を卒業後、精神医学教室で、一般精神医学と児童精神医学のトレーニングを受けました。その間10年近く、いくつかの公的精神病院に勤務 ....

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1983年に名古屋大学に着任して以来、本学には31年間お世話になりました。 1975年、大学院の学生だった私は、助手へのお誘いを受けて前任の大学の教員になりました。当時の国立大学教員の給与は景気の良い民間企業と比べて低めで、一流と言われていた民間企業に就職を果たした友人達からは何を好き好んで大学にと言われましたが、給料をいただいて勉強ができるという、他では得られない自由な時間を手に入れるた ....

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建築学科の助手として教育研究に専念する生活を一段落させ、鶴舞団地の再開発計画を策定するため、平成元年に医学部に講師として派遣されたことが大きな転機でした。それまで鶴舞の再開発計画は外部委託で作成されていたのですが、 本省では全く認められないため、学内専門家の派遣という手段を執行部が判断したことによります。 施設部の職員と共に業務を開始しましたが、本省からは建築計画の前に、現状にどのような問 ....

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1988年に本学工学部に助手として赴任して以来,中断を挟んで,29年間を過ごさせていただきました.その間,ファジィ・データ解析の分野で教育・研究に注力してまいりました.産業界でのデータサイエンティストの需要の高まりの中で,当研究室の卒業生が活躍していることに,うれしさと頼もしさを感じています.学部生向けの講義では,学生に電気電子回路作りの楽しさを体験させようと製作演習付きの講義を模索してきました ....

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私が名古屋大学法学部に助手として採用されたのは1979年4月であり、この3月で勤続37年ということになる。ただしその前に大学院生として5年間在籍したこともあり、名古屋大学での私の生活は42年となる。まだ大学紛争の熱も冷めやらぬ京都大学を卒業し、本学の大学院に進学した私にとって、本学の雰囲気はとても平穏であり、ここで、横越英一先生をはじめとする素晴らしい指導教授の下で研究に没頭できたことは、 ....

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1973年4月に大学院文学研究科の修士課程に入学して以来今年3月の退職まで、私の名古屋大学での生活は43年及びます。初めは大学院生として、1980年に助手となってからは教員として、同じ文学部に通いました。文学部の建物は耐震改修されましたが、骨格は40年前と変わりません。三階の暗い廊下を歩いていると、ふと、40年前のまだ何になるのか解らない自分に出会う気がします。当時の国史学研究室(現在の日 ....

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1979年4月、工学部附属自動制御研究施設の助手に採用され、学科の新設、大学院重点化などの組織改革の流れの中で、情報工学教室、電子機械工学教室と所属が変わりましたが、一貫して「システム制御の研究と教育」に携わることができ、しかも、この間、すばらしい先輩、同僚、学生諸君に支えていただいたことを心から感謝しております。 学生諸君には、学業に励み、専門的な知識や技術者としての素養を育んでもらうこ ....

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昭和53年より名古屋大学大学院医学(現、医学系)研究科生化学第二(現、分子細胞化学)研究室に大学院生および助手として合計で9年間在籍し、その後平成20年よりに名古屋大学大学院生命農学研究科栄養生化学研究室に教授として約11年間務めました。従いまして合計で約20年間もの長い間名古屋大学にお世話になりました。私の専門は、生化学を基礎とした栄養学ですが、名古屋大学で研究を実施できたおかげで、自身のラ ....

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宇宙船アポロ11号が月面着陸し人類が初めて月に足を踏み入れた年 (1969年)に名古屋大学工学部に入学して以来、学生として9年、教員として38年の半世紀 (47年)に亘り名古屋大学にお世話になりました。 学園紛争の真っただ中、晴れて入学したキャンパスで真っ先に目にしたのは立て看板の列であり、47年通い続けた東山キャンパスの始まりは、教養部封鎖による休講と学生集会の日々でした。工学研究者とし ....

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1968年に名古屋大学法学部に入学しました。大学紛争最盛期で、時代の雰囲気に影響され、思想への関心が急速に膨らみ、政治思想史のゼミナールに所属させていただきました。ついで、大学院経済学研究科に進学し、社会思想史を専攻しました。指導教官の水田洋先生は、日本を代表する思想史研究者であり、社会思想史学の確立のために尽力されていました。最先端の研究現場にいる喜びの中で、気づくと研究者の道を歩み始めてお ....

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私は1977年4月に助手に採用されて以来、38年間の永きにわたり、名古屋大学で教育・研究に携わることができました。これもひとえに一緒に学び、考え、躓きながらも歩み続けていただいた教職員および学生たちのおかげです。研究では、伝熱工学と燃焼工学の様々な課題を取り上げ、学生たち一人一人にできるだけ自由に選ばせることを心がけました。毎週のセミナーや研究打ち合わせでは、思い通りの結果でないことを悔や ....

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