今あらためて「大学の原点」を考える−夏目漱石ならびにエルンスト・ブロッホの所説にも触れて−

2009年度 退職記念講義

講師柴田庄一 教授
柴田庄一 教授
開講部局文学部/国際言語文化研究科
日時2010/2/9 14:00-15:30
場所文系総合館カンファレンスホール
柴田庄一 教授
講師柴田庄一 教授
開講部局文学部/国際言語文化研究科
日時2010/2/9 14:00-15:30
場所文系総合館カンファレンスホール

今こそ「大学(universitas)の原点」に立ち返るべきとき

ここ二十数年来、大学が置かれた環境を顧みると、二つの大きな転機に思い当たります。ひとつは「設置基準の大綱化」(1991年)であり、今ひとつが「遠山プラン」(2001年)の策定とその具体化です。前者に謳われた「自由化」は単なるスローガンで、その実、教養教育の骨抜きがなされ、実利性と効率性が最重視されるとともに、大学に自己評価を強いる官僚支配の強化に矮小化されました。それに一層の輪をかけたのが後者でした。とりわけ、経営手法による業績評価や競争原理の導入という「新自由主義」の押し付けが、今日の疲弊を招いた元凶であり、ひたすら増加し続ける書類作りと競争的資金の偏重は、そうした動向の当然の帰結に他なりません。

人文系の学問や基礎研究の本領は、既成の枠組みに囚われることのない根源的課題を問うことにあります。それが、短期の成果を求める査定に馴染まないのは言うまでもないことです。もともと大学(universitas)の原義は、教える者と学ぶ者との同業組合であり、つまりは、何者にも阻害されることなく、自由闊達な討議を行うことを意味しました。自主的で創造的な研究活動こそ、今日においてもなお、大学が担うべき、最大の任務でもまた使命でもあるのではないでしょうか。そもそも危機に直面したときの鉄則は、存立の意義を問い、すべからく原点に回帰することです。これからのみなさんが、「研究」と「教育」の現場を託された者の矜持を胸に、さらにいっそう健闘されることを期待して止みません。

講師紹介

柴田 庄一 SHIBATA, Shoichi(1946年4月生まれ)
名古屋大学大学院・国際言語文化研究科
日本言語文化専攻(日本言語文化学講座)教授

最終学歴

  • 名古屋大学大学院・文学研究科修士(独語・独文学専攻、1971年)

大学院担当

日本言語文化専攻(日本言語文化学講座)で「言語文化学原論」を講じるとともに、文学研究科においても「ドイツ文学演習」を担当した。昨年度の題目は、下記の通り。

  • 言語文化学原論:技芸の修練と熟達の機制(メカニズム)—歌舞伎の芸談を手掛かりに—
  • ドイツ文学演習:<表現主義論争>の今日的意義—「モダニズム」の再認識のために—

専門分野

ドイツと日本の近・現代文学研究ならびに西欧および日本との比較思想文化論。特に、ヘルダーリーンからトラークルを経てリルケに至るドイツ近代抒情詩の系譜、カフカの文学とその周辺に現われるドイツ表現主義と現代芸術の特質、ニーチェやベンヤミンを代表的論客とする「近代化」批判の源流とその系譜、「維新革命」と民権思想における勝海舟、坂本竜馬、西郷隆盛らの意義、ならびに、鴎外、漱石、兆民、荷風等々を中心として、昭和10年代の「近代の超克」論争に至るまでの日本近代文学の展開とその問題性の解明について。

近年の研究

国際関係論や異文化間コミュニケーションにも関心を抱く一方、マイケル・ポランニーの提唱する「暗黙知論」に基づく創成のメカニズム、とりわけ創発論の意義についての原理論的考察を深めながら、発見と創造にまつわる一般理論としての可能性を検討し、併せて、「職人技」のような技能から、スポーツ、芸道にまで相渉るさまざまな具体的諸分野における身体知の修練とその体得の実相、ならびに実践論の究明を目指している。 また、現象学の泰斗フッサールに連なるロマン・インガルデンを始祖とする「読書の現象学」の系譜を追いながら、ソシュールやヴィトゲンシュタインの言語分析、ベンヤミンの翻訳論、サルトルの想像力論やメルロ=ポンティらによる芸術や芸術家論、ハイデガーやガダマーの解釈学、バルトやデリダのテクスト論、バフチン、ロッジ、エーコらの物語分析、さらにはヤウスやイーザーに代表される「受容美学」の所説をも視野に収め、虚構作品の構造ならびに「語り」の分析を進めることで「言語文化学」に関する基礎理論の構築を目指すとともに、具体的な作品や作家研究への応用の可能性を追求している。 現在、構想している主題は、漱石やカフカに関する個別の作品論のほかに、読むことと理解すること、意味生成の論理、身体知と暗黙知、カオスと創成、歌舞伎や能狂言をはじめとする伝統芸能における技芸の修練と熟達のメカニズムについて、など。

なお、これまでに発表した主な論文等のタイトルは以下の通り。

研究論文タイトル一覧(2010年8月現在)

  • 60)柴田庄一「『現代文学』への転進と帰朝時点からの再出発—家庭小説としての『道草』と対位法的叙法の試み—」『言語文化研究叢書9 言葉と文化の国際交流』、名古屋大学国際言語文化研究科2010年3月、p109-136
  • 59)柴田庄一「技芸の修練と熟達の機制(メカニズム)—歌舞伎の芸談を通覧して」言語文化論集第31巻第2号、名古屋大学国際言語文化研究科2010年3月、p61-82
  • 58)柴田庄一「『皮相上滑りの開化』への疑念と民権思想の原基—分水嶺としての『征韓論争』と群島性のヴイジョン—」言語文化論集第31巻第1号、名古屋大学国際言語文化研究科2009年10月、p63-81
  • 57)柴田庄一「現代『中国問題』の光と影—長江デルタへの小さな旅によって触発されたこと—」『言語文化研究叢書8 メディアを読み解く』、名古屋大学国際言語文化研究科2009年3月、p53-76
  • 56)柴田庄一「『創造』の舞台裏と『わざ言語』の実際—カルロス・クライバーのリハーサルに見る指揮芸術の真髄—」言語文化論集第30巻第2号、名古屋大学国際言語文化研究科2009年3月、p135-153
  • 55)柴田庄一「『超近代芸術』としての歌舞伎と近代化の功罪—演劇改良運動への対応をめぐって—」『論集:異文化としての日本』(国際シンポジウム「異文化としての日本」記念論文集)、名古屋大学国際言語文化研究科2009年3月、p23-31
  • 54)柴田庄一「夏目漱石と日本の近代—百年後の今日(こんにち)に語りかけられていること—」中国・安徽大学(2008年5月)での講演原稿、言語文化論集第30巻第1号、名古屋大学国際言語文化研究科2008年9月、p37-46
  • 53)柴田庄一「古代マヤ文明における自然崇拝と宇宙論(コスモロジー)—奄美群島ならびにメキシコ・ユカタン半島への『巡礼ツアー』に参加して—」科研報告書『言語表象と脳機能から見た環境生成のメカニズム』2008年4月、p413-419
  • 52)柴田庄一「吉本隆明における詩的喩法の論理—『全詩集』にみる『意味』と『価値』とを繋ぐもの—」『言語文化研究叢書7 日本語の魅力』、名古屋大学国際言語文化研究科2008年3月、p43-61
  • 51)柴田庄一「夏目漱石における個人主義的心性と自意識の劇(ドラマ)—<後期三部作>の叙法と主題の相関をめぐって—」言語文化論集第29巻第2号、名古屋大学国際言語文化研究科2008年3月、p123-142
  • 50)柴田庄一「『暗黙知論』の実践としての指導法(コーチング)と采配—考える闘将『オシム語録』を読み解(ほど)く—」言語文化論集第29巻第1号、名古屋大学国際言語文化研究科2007年10月、p105-122
  • 49)柴田庄一「戦後詩における比喩表現の高度化と秘教化—言語表現を『読み解く』とはどういうことか」公開講座テキスト『日本語の魅力』名古屋大学国際言語文化研究科、2007年6月、p13-17
  • 48)柴田庄一「隠喩としての怪物(モンスター)—メアリ・シェリー『フランケンシュタイン』の多義性と今日的(アクチュアリ)意義(ティ)」『言語文化研究叢書6 恐怖を読み解く』、名古屋大学国際言語文化研究科2007年、p95-114
  • 47)柴田庄一「文明批評家としての夏目漱石ならびに『教育者』としての意外な素顔—『野分』『それから』とその周辺をめぐって— 」言語文化論集第28巻第2号、名古屋大学国際言語文化研究科2007年、p35-51
  • 46)柴田庄一「フィギュアスケートにみる基礎技能の体得と表現力の練磨—『技芸(アート)』の習得過程に関するケース・スタディとして— 」言語文化論集第28巻第1号、名古屋大学国際言語文化研究科2006年、p33-49
  • 45)柴田庄一「『暗黙知』のはたらきと『創発』への試行(トライアル)—『環境場』の制約にどう対処するのか、をめぐって—」『言語表象と脳機能から見た環境哲学の拠点形成』、平成17年度名古屋大学・学長裁量軽費プロジェクト成果報告書、2006年、p71-89
  • 44)柴田庄一「身体知の実践と継承—いまこそ『職人の叡知』に学ぶべきとき—」『言語文化研究叢書5 日本像を探る』、名古屋大学国際言語文化研究科2006年、p95-114
  • 43)柴田庄一「<異界>との往還と想像力発動のありか—夏目漱石『漾虚集』における幻視の様態について—」言語文化論集第27巻第2号、名古屋大学国際言語文化研究科2006年、p35-51
  • 42)柴田庄一「物語分析の方法と実際—最新作映画『オペラ座の怪人』をどのように観るのか、をめぐって—」『メディアと文化』第2号、名古屋大学国際言語文化研究科2006年、p87-92
  • 41)柴田庄一「『語り』の機能の拡張と縮小—『吾輩は猫である』に見られる三相のアスペクトをめぐって—」言語文化論集第27巻第1号、名古屋大学国際言語文化研究科、2005年、p35-47
  • 40)柴田庄一「デリダ・ブランショ・ベンヤミン—フランツ・カフカ『法の門前にて』の読解をめぐって—」ドイツ文学研究第37号、東海ドイツ文学会、2005年、p113-127
  • 39)柴田庄一・遠山仁美「『暗黙知』の構造と『創発』のメカニズム—『潜入』と『包括的統合』の論理」言語文化論集第26巻第2号、名古屋大学国際言語文化研究科2005年、p73-89
  • 38)柴田庄一「『坊っちゃん』と『草枕』を読み返す—『語り』の視点を手がかりに—」言語文化研究叢書4 古典を読み直す、名古屋大学国際言語文化研究科、2005年、p37-53
  • 37)柴田庄一・遠山仁美「『暗黙知』の体得と『階層構造』の意義—『創発』の機制と熟達化の諸条件をめぐって—」言語文化論集第26巻第1号、名古屋大学国際言語文化研究科、2004年、p17-36
  • 36)柴田庄一「都市大衆文化の成立と<盛り場>の意味するもの—映画の普及と活動弁士の役割を手掛かりとして—」言語文化研究叢書3 都市と文化、名古屋大学国際言語文化研究科、2004年、p37-48
  • 35)柴田庄一「『本格小説』における語りの構造—表象の自由と読者関与の可能性をめぐって—」言語文化論集第25巻第2号、名古屋大学国際言語文化研究科、2004年、p85-98
  • 34)柴田庄一「美的規範の成立と変容—共同主観と個人の主体的関与との関係を中心として—」言語文化研究叢書2 美と文化、名古屋大学国際言語文化研究科2003年、p27-32
  • 33)柴田庄一・遠山仁美「技能の習得過程と身体知の獲得—主体的関与の意義と『わざ言語』の機能—」言語文化論集第24巻第1号、名古屋大学言語文化部、2003年3月、p77-93
  • 32)柴田庄一・山口和代「日本語習得における人間関係の認知と文化的要因に関する考察—中国人および台湾人留学生を対象として—」言語文化論集第24巻第1号、名古屋大学言語文化部、2002年10月、p141-158
  • 31)柴田庄一・岡戸浩子「「グローカリゼーション」の動向と言語教育の行方—「多様化」をめぐるアンケート調査を手がかりとして—」言語文化論集第22巻第2号、名古屋大学言語文化部、2001年3月、p43-57
  • 30)柴田庄一・岡戸浩子「「外国語教育の多様化」とその可能性をめぐって—国際理解の視点から—」言語文化論集第18巻第2号、名古屋大学言語文化部、1997年3月、p197-211
  • 29)柴田庄一「<老い>の風景—小津安二郎の名画の世界から—」名古屋大学放送(テレビ)公開講座テキスト『長寿を考える』(第一法規)、1993年7月、p44-54
  • 28)柴田庄一「キッチュ・パロディー・パスティッシュ—情報化社会における価値の浸透と芸術の諸相—」文芸同人誌『詩想』第12号、1991年、p15-27
  • 27)柴田庄一「日本の近代化と文学者の役割—鴎外・漱石・荷風にみるそれぞれの留学体験—」名古屋大学放送(ラジオ)公開講座テキスト、1990年10月、p75-83
  • 26)柴田庄一「ニーチェにおけるディオニュソス的なるもの—創造論への一つの布石—」言語文化論集第10巻第2号、名古屋大学総合言語センター、1989年3月、p199-214
  • 25)柴田庄一「都会の思慕と田園の思慕—石川啄木の詩と評論—」文芸同人誌『詩想』第11号、1988年10月、p26-37
  • 24)柴田庄一「暗黙知と異文化間コミュニケーションの可能性—L.ヴィトゲンシュタインならびにM.ポランニーの所説に触れて—」言語文化論集第9巻第2号、名古屋大学総合言語センター、1988年3月、p261-275
  • 23)柴田庄一「誕生と個性と自己確立の試み—フランツ・カフカの文学世界 (2) —」ドイツ文学研究第19号、東海ドイツ文学会、1987年10月、p31-43
  • 22)柴田庄一「フランツ・カフカの文学世界 (1) —<書くこと>の意味するもの—」ドイツ文学研究第18号、東海ドイツ文学会、1986年10月、p59-70
  • 21)柴田庄一「『断食芸人』における<芸>の成立—カフカの《芸術家小説》をめぐって—」佐藤自郎教授還暦記念独墺文学論文集、名大出版会、1986年8月、p273-284
  • 20)柴田庄一「中江兆民と啓蒙思想の行方—『三酔人経綸問答』の位置をめぐって—」言語文化論集第7巻第2号、名古屋大学総合言語センター、1986年3月、p21-36
  • 19)柴田庄一「異文化間コミュニケーションの根底—共通項の理解のために—」言語文化論集第6巻第2号、名古屋大学総合言語センター、1985年3月、p319-331
  • 18)柴田庄一「「恋愛」のかたちと<公私>の接点—森鴎外における「日本の近代」(下)—」言語文化論集第6巻第1号、名古屋大学総合言語センター、1985年10月、p1-14
  • 17)柴田庄一「三好達治詩の抒情性—その日本的特質をめぐって—」文芸同人誌『詩想』第10号、1985年10月、p14-29
  • 16)柴田庄一「「恋愛」のかたちと<公私>の接点—森鴎外における「日本の近代」(上)—」言語文化論集第5巻第2号、名古屋大学総合言語センター、1984年3月、p1-21
  • 15)柴田庄一「ヘルダーリーンにおける<詩の成立>—「媒介者」としての詩人像をめぐって—」ドイツ文学研究第15号、東海ドイツ文学会、1983年10月、p59-68
  • 14)柴田庄一「近代日本文学の生成と変質(その一)—問題の所在—」言語文化論集第4巻第2巻、名古屋大学総合言語センター、1983年3月、p1-15
  • 13)柴田庄一「リルケにおける<近代の超克>—「見えないもの」への変容をめぐって—」ドイツ文学研究第12号、東海ドイツ文学会、1980年10月、p49-58
  • 12)柴田庄一 Charakterzüge der modernen Lyrik—Ausgehend von den Traklschen Gedichten 言語文化論集第1巻、名古屋大学総合言語センター、1980年3月、p297-304
  • 11)柴田庄一「『ドゥイノの悲歌』ノート」文芸同人誌『詩想』第9号、1979年12月、p43-58
  • 10)柴田庄一 Triviale Elemente im “Schloß Dürande” von Eichendorff 名古屋大学教養部紀要第23輯、1979年3月、p201-212
  • 9)柴田庄一「カフカにおける<始まり>の意味—『変身』『判決』を中心として—」ドイツ文学研究第10号、東海ドイツ文学会、1978年10月、p39-48
  • 8)柴田庄一 Hölderlins Dichterbild in den späteren Gedichten 名古屋大学教養部紀要第22輯、1978年3月、p169-185
  • 7)柴田庄一「現代詩と抒情の宿命」中京大学教養論叢第14巻第3号、1974年1月、p69-88
  • 6)柴田庄一「ゲオルク・トラークル論(下)」中京大学教養論叢第14巻第1号、1973年6月、p191-205
  • 5)柴田庄一「ゲオルク・トラークル論(上)」中京大学教養論叢第13巻第3号、1972年11月、p51-81
  • 4)柴田庄一「エドワルド・ムンクとドイツ表現派(下)」中京大学教養論叢第13巻第2号、1972年10月、p99-111
  • 3)柴田庄一「エドワルド・ムンクとドイツ表現派(上)」中京大学教養論叢第13巻第1号、1972年7月、p87-98
  • 2)柴田庄一「Kafkaにおける作品の構造—『アメリカ』の場合— (II)」中京大学教養論叢第12巻第3号、1971年11月、p63-88
  • 1)柴田庄一「Kafkaにおける作品の構造—『アメリカ』の場合— (I)」中京大学教養論叢第12巻第2号、1971年8月、p31-50

翻訳:

  • 1)ペーター・ソーンディ「リルケ『第八の悲歌』について」文芸同人誌『詩想』第8号、1978年
  • 2)D. シュトウッケンシュミット『ドイツのフォークロア』共訳(郁文堂)、1975年

講演要旨:

  • イエルク・ドレーヴス「自己の探究—社会の探究 1968年以後のドイツ散文作品の展開」ドイツ文学研究第11号、東海ドイツ文学会、1979年

教科書編纂:

  • 柴田庄一『話せるドイツ語』(朝日出版社)1990年

その他:

  • 1)小特集<今日のドイツ語教育—新展開への模索>の編集と解説 ドイツ文学研究第20号、東海ドイツ文学会、1988年
  • 2)エトムント・ヘルツェン教授還暦記念論文集『神なき時代の芸術と哲学』(鬼隠企画室)を共同編集 1987年10月

講義資料

今あらためて「大学(universitas)の原点」を考える—夏目漱石ならびにエルンスト・ブロッホの所説にも触れて—


投稿日

April 14, 2020