講師 | 小坂光一 教授 |
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開講部局 | 文学部/国際言語文化研究科 2007年度 |
対象者 | 国際言語文化研究科 |
実際の授業の様子は「学習成果」のビデオをご覧下さい。
受講生が多いため、授業の進行には工夫が必要である。今回は約 25 名の参加者がいるので、以下のような工夫をする。
前期は理論的な内容を扱うので、人数が多くても、授業を一斉に行うことができるが、授業中に受講者が行うレポートの対象・内容・文献などは参加者が選ぶのではなく、それぞれの参加者にふさわしいと思われるものを教師である私が割り当てることにする。
実習形式なので、一斉授業はできない。すなわち、10 月〜12 月上旬はせいぜい 12〜13 名程度で、12 月中旬〜1月末は 6 名程度で行う必要がある。然るに、参加者は 25 名に近い。よって、次のような工夫をする。
10 月〜12 月上旬:
参加者を前半グループと後半グループに分ける。前半グループは 12 時 40 分から、後半グループは 13 時 40 分からとする。こうすることにより、他の授業に影響をあたえずに授業時間を長くすることができる。
12 月上旬〜1月末:
参加者を4つのグループに分け、1回の授業で2グループが実習を行う。結局、全員が1回の実習を行うのに2回の授業を必要とする。
実際の授業の様子
(リンクをクリックすると見ることができます。)
2006 年 10 月 31 日
月 | 講義内容 |
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4 | 時称、アスペクト、モダリティを扱う際の術語の概念の解説。時称の選択に関する理論的考察 |
5 | 動作・現象・状態の成立・存在とアスペクト的要素の関連 |
6 | 成立・存在表現と条件文の関連。受講者側の口頭レポート |
7 | 述語否定・命題否定と条件文の関連。場所表現にまつわる問題点。誤用分析とその応用 |
月 | 講義内容 |
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10 | 2グループに分けてTPRの実習をする |
11 | |
12 | 4グループに分かれてCLLの実習をする |
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授業最終日にTPR と CLL に関する口頭レポートをしてもらう。
TPR は、学習者が必ずしも学習開始時点から発話練習をする必要がないという前提に立ち、 聴解力の養成を出発点としたものである。つまり、学習者は、聞くことにより文を理解していくので、教師の発話は十分に検討されたものでなければならない。私は、TPR の実践の映画を見たことがあるが、 そこで扱われていたのは、日本人(あるいは日本人2世?)を教師とする日本語授業の風景であった。気付いたことは、教師が文字通り命令(「立て」、「すわれ」など)を発していること、日本語が不自然であること(「ドアへ走れ」、「窓へ行け」など)である。前者はおそらく、Asher のテキストにおける命令形(“Walk!”, “Stop!”, “Jump!”など)をそのまま日本語に置き換えたこと、後者は英語の前置詞をそのまま日本語の助詞に対応させて、“Walk to the door!”などを「ドアへ歩け」などとしたことに起因すると思われる(あるいは教師の日本語が不十分なのか?)。実践にあたっては動詞句の形を「〜てください」にし、前置詞相当語として必要に応じて「〜のところへ」、「〜の方へ」のように「名詞+助詞」の形を採用する方がいいと思われる。
この練習はかなりスピーディに行われるので、学習者は短時間のうちに相当多くの文を繰り返し聞くことになる。従って、聴解力の涵養にはかなり効果的である。しかし、それのみならず、短期間で、伝統的方法の数倍の量の文法事項を取り扱うことができるというメリットがある。 私のドイツでの日本語授業では、11 回の授業ですでに次の文法事項を取り扱うことができた。
Curran によって提唱された CLL の特徴は、あらかじめ用意された教材が(教師側にも)全く存在せず、学習者が自ら教材を作り上げていくこと、教師の方は完全に受動的立場にあり、授業をオーガナイズはするが Berater(助言者)にすぎず、基本的には、学習者に問われないかぎり何も教えないという点にある。授業の進行の第1段階の基本パターンは次の通りである。
以上が最初の段階である。Curran は全部で5つの段階を提唱している。第2段階以降はおよそ次の通りである。
CLL というのは教師自らは何も教えないことに特徴がある。つまり、教師は、学習者から要求されたときに助言者として存在するもので、それ以外のときはオーガナイズするだけでほとんど何も言わない。しかし、必要とされるときは万能でなければならず、負担はかなり大きい。教師は 出発言語と到達言語を完全にコントロールできなければならない。学習者が出発言語で発する発話を、それがどんな発話であれ、瞬間的に到達言語に翻訳できなければならない。しかも、学習者がどんなコンテクストで、どんな含みで発話しようとしているかを瞬間的に把握するのはむずかしく、正しく翻訳するのは至難の技である。さらに、翻訳された文は学習者の学習モデルとなるものであるから、完全に正しく自然なものでなければならない。また、逐語訳やそのコメントに際してはかなりの対照言語学的知識が必要である。学習者の側には、自分たちの必要とする文を、文法事項の既習・未習に関係なく、自然な形で、自分たちの学びたいように学べるという利点がある。この方法には決定的な条件が2つあることだけは付け加えておきたい。それは、学習者の出発言語が共通していなければならないこと、教師がその出発言語を理解し使いこなせることである。
まず、授業に参加してレポートをすること、実習に参加することを前提とした上で、学年末に次のいずれか1つを選択すること。
May 13, 2020