講師 | 成田克史 教授 |
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開講部局 | 教養教育院 2006年度 前期 |
対象者 | 工学部1年生、医学部1年生 (1.5単位・週1回全15回) |
授業は基本的に教科書に沿って進められます。教科書は、1)テクスト、2)単語集、3)文法表、4)練習問題から成っています。受講生は授業で文法の説明を聞いたあと、家で単語集を参考にしてテクストを読み、練習問題の答えを用意します。練習問題は、テクストの内容に関する質問にドイツ語で答えるものです。
次の授業では、まず、練習問題の質問を私が口頭で行い、指名された受講生がそれに口頭で答えるようにします。家で用意した答えを見てもかまいません。当たっていない人はそれをよく聞いて、自分が用意した答えを添削します。そして、ここが肝心なのですが、切りのいいところで、私から似たようなことをいきなり問いかけます。指名された人はその場で考えて、ドイツ語で答えなければなりません。
練習問題でも授業中の質問でも、原則として誤答は逐一直さず、次の人を指名します。指名された人は前の答えのどこが違っていたかを考えて答えるようにします。そうすれば、3人目か4人目で必ず正答にたどり着きます。正答はさらに数名の受講者に繰り返していただきます。ぼやぼやしている暇はありません。このような作業を通じてドイツ語では何をどう言うかを体験的に学習します。
ふつうは何かをするのが工夫というものですが、私の授業では、ふたつの「しない工夫」があります。それはオーディオ機器を使わないこと、試験をしないことです。
ことばの学習というのは「理解する」から「覚える」へ、そして「使う」という具合に進んでいきます。残念ながら、日本では授業以外でドイツ語が使える機会はそう多くはありませんから、授業の中でドイツ語を「使う」ところまでやる必要があります。そうしなければ、何のために「理解する」のか、何のために「覚える」のか、わからなくなります。ところで、赤ん坊が母親や周囲の人たちに接しながらことばを覚えるように、ことばを習得するには生身の人間を相手にするのが一番です。教室には、ネイティブスピーカーではないにしても、ドイツ語ができる教師がいます。これを活用しない手はありません。私は、学生が覚えたてのドイツ語を「使う」ための相手役になります。私の言うドイツ語がわかって、それにうまくドイツ語で答えられれば、ドイツ語が使えたことになります。そうすれば、それまで学んできたことが正しかったという自信が生まれますし、何よりもことばが通じたという達成感が新たな学習への動機づけになります。テクストも読んで聞かせます。ドイツ人と同じようにはいきませんが、スピーカーから流すのっぺらぼうな録音音声に迫力では負けないつもりです。録音された音声を聞いたり、自分の声を録音したりするのはよい練習になりますが、それはあくまでも練習であって、使っていることにはなりません。
試験をしないのは、単位のことなど気にせずにのびのびと勉強して欲しいからです。 大学というところは、学ぶということがまずあって、単位や卒業はその結果です。試験をしないと学生は勉強しないという人がいますが、試験勉強で覚えたことが本当に身につくのか、はなはだ疑問です。私の授業では、毎回、一人2〜3回当たりますが、予習を行い、私のドイツ語をきちんと聞いて、聞かれたことに本気で答えようとすれば、ドイツ語では何をどう表現するのかということが体験として蓄積されていくはずです。本気で学んだ学生に試験は不要です。それどころか、専門教育と異なり、動機づけが難しい教養教育において、少なくとも私のドイツ語授業に関しては、試験は、それに受かるための「学習意欲」を高めはしても、学生の本気で学ぶ意欲を低下させ、かえって逆効果なのです。試験をせずに正しい評価ができるのか、という疑問もあると思います。しかし、授業中にこれだけ当てると、学生がどれくらい本気で学んでいるか、すぐわかります。成績はこうした毎回の授業における観察と、閻魔帳(授業の記録)を見ながら決めることになります。週2回、1学期15週間の授業ですから、文法説明の回を除いて1学期に一人50回ほど当たる計算になります。少なくとも、一発勝負の期末試験よりは正確な評価ができていると考えます。
よく、ことばの学習というのは、「読む・書く・聞く・話す」の4技能を習得することだと言われますが、それは私の授業には当てはまりません。私の授業ではその4技能の大元にある、ことばの力を獲得することを目標にしています。ことばの力とは、形から意味を引き出し、意味に形を与える能力のことです。この能力を養うために、もちろん「読む・書く・聞く・話す」という4つのチャンネルを使いますが、それは手段であって、目標ではありません。
「ツールとしての外国語」という言い方もよく耳にします。文献を読んで必要な知識を得たり、対話によって意見を交換したりするためのツールです。しかし、ことばそのものの能力なしに、どうやって専門書を読んだり、話し合いをしたりすることができるでしょうか。ツールとは本来、自分の外にあるものです。大事なのはツールではなく、ツールの使い方を知ること、つまり、自分の中に心の機能のひとつとしてのことばを獲得することです。その上で、それを何に使うかは学ぶ人に委ねられます。 ドイツ語の文献を読み解くことに特化させてもいいでしょうし、ドイツ語圏の人々と直接ドイツ語で交流するのもいいでしょう。
仮にそのような具体的な使い道がないという方にとっても、ドイツ語(に限らず、一般に第2外国語)を学ぶことには大きな意義があります。同じ森を見ても、日本人とドイツ人では考えることが違うでしょうし、同じ森の同じ出来事を捉えたとしても、日本語とドイツ語では表現が異なることでしょう。「文化」というと、衣食住や風俗習慣、芸術作品など、目に見えるものを思い浮かべがちです。しかし、何をどう捉えて、どう表現するかという心の働きとしてのことば自体も実は文化なのです。母国語とも異なり、また受験科目として学ばざるを得ない英語とも異なる言語を、成熟した頭脳で客観的に観察しながら、体験的に習得することによって、ものの見方のヴァリエーションは広がり、より柔軟な思考が可能になるはずです。その意味では、ドイツ語によるものの見方を体得することが、この授業の目標であるとも言えます。
ことばというのは学術的な知識ではなく、人間の基本的能力のひとつです。外国語を学ぶということは、その能力を広げることであり、その意味で、大学が果たすべき教養教育の重要な柱のひとつであると考えています。
この授業は、初めてドイツ語を学ぶ学部1年生を対象にしています(他の言語文化Iの授業と同じです)。また、この「ドイツ語1」の授業は、別の曜日に開講される「ドイツ語2」との一貫授業として講じられています。
特に前提となる科目はありません。初心者向けの授業です。
成田克史著『答えはドイチュ』(同学社)
回 | 講義内容 |
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1 | 発音、数字の読み方、授業で使う表現とあいさつ Lektion 1. Werner Schmidt ist Student. Er hat Ferien. (規則動詞、全文否定) |
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3 | Lektion 2. Frau Meier liest den Tagesspiegel. (不規則動詞、冠詞類と人称代名詞の1格・4格、部分否定) |
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5 | Lektion 3. Silke hilft ihrer Mutter in der Küche. (冠詞類と人称代名詞の3格) |
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7 | Lektion 4. Frederik Ringer geht einkaufen. (親称の人称代名詞と動詞の形、冠詞類の2格、前置詞) |
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9 | Lektion 5. Silke und Werner fahren heute zusammen nach Göttingen. (再帰代名詞) Ergänzung (形容詞の語尾) |
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11 | Lektion 6. Sie müssen nur die Wegweiser beachten. (助動詞) |
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13 | Lektion 7. Auch samstags muss ich um sechs Uhr aufstehen. (分離動詞) |
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15 | まとめ |
成績は毎回の授業における観察と、閻魔帳(授業の記録)を見ながら決めます。
前田敬作監修『フロイデ独和辞典』(白水社)
・信頼性の非常に高い中型の独和辞典。
根本道也他編『新アポロン独和辞典』(同学社)
・初心者向け独和辞典の老舗からの最新版。
岡田、清野著『基礎ドイツ語文法ハンドブック』(三修社)
・長く愛読されたドイツ語学習誌の総まとめ。
ヘルビヒ、ブッシャ著『現代ドイツ文法』(三修社)
・明快な記述と例示を特徴とした原著の翻訳。
May 10, 2020