講師 | 鈴木繁夫 教授 |
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開講部局 | 文学部/国際言語文化研究科 2011年度 通年 |
対象者 | 国際言語文化研究科 国際多元 文化専攻 (2単位・前期・後期ともに)、週1回全15回) |
インターネットは、今の多くの私たちにとっては、公的には場所と時間の制約からできるだけ自由になって共同作業を行っていくための道具であり、私的には好縁を育成し強固なものにしていくための手段と理解されている。意思疎通のためのメディアという考え方は、21 世紀に独特なものではなく、西洋では 16-17 世紀にすでに確立していた。この新メディアは、千数百年続いた筆耕と羊皮紙を介して修道院・大学図書館をインフラとする、顔が見える対面情報伝達文化に取って代わった。
こうした歴史的視野に立つと、現に私たちが経験し実際に抱いているメディア観、それに付随する文化のあり方も異なって見えてくる。そしてその次に待ちかまえているのは、では自分はどう考えるかにかかってくる。なぜなら現実の心情としては、発信者のわからない情報の波に呑まれているよりも中世的な小さなまとまりの空間のなかで互いに気心が知れている(と思い込んでいるか、そう思い込みたい)共同性に賛成だが、それに積極的に賛成することには、当為必然が含意されていないからだ。
授業では、エリザベス・アイゼンステイン『印刷革命』(原題 The Printing Press as an Agent of Change)に沿って議論を展開しながら、こうした図式が成り立っている歴史的背景をさぐっていく。 なおアイゼンステインは、歴史を記述する際には、いつも暗黙の内に現代の人間観が肯定されており、「価値中立的な語法」(ロラン・バルト)による「いま・ここ・私」に向かって進む歴史として要領よくまとめている。フーコーの「人間の終焉」や「知の考古学」という視点はまったくない。その意味でとてもおとなしい歴史叙述書になっているので、批判的に読むことが要求される。
「驚きは思索の始まり」というアリストテレスの言葉が示しているように、「驚き」は人間を現状満足の停滞状態から前へと触発する起爆剤である。「驚き」は、驚異・奇跡・好奇・奇怪といったように、向かい合う対象の幅が広く、個人の視野を拡大させ、そのように種々に受け止める人間の感性を柔軟にさせる。しかしそれとともに、現状の正当性確認の装置としても機能してしまう。なぜなら「驚き」を欠いた現状が「まとも」であることを再認させてしまうからだ。
従来、「驚き」の歴史は、未開・無知から啓蒙へといった単線的進歩史観か、マックス・ヴェーバーのいう「魔術からの解放」という近代化志向、はたまた人間の発見・解明努力を通じた真理の暴露過程、さらには文化格差による一方の文化から他方の文化の抑圧といったといった路線で語られることがほとんどであった。これに対して、博覧強記の科学史家ダストンとパークは、「世界の名著」といった正典化された書籍に基づく「驚き」の記述から逸脱して、これまで読まれず見過ごされてきたテキストを起点にして、退歩・進歩や中世・近代といった二項対立思考がまやかしであり、これらは九重八重に互い折り重なっていることを、多くの図像を用いながら説明する。また、16-17 世紀の個人蒐集家や私設博物館を取り上げて、努力ではなく好奇からたまたま「本当」がわかってしまったという僥幸(いわゆるセレンデピティ)の連続を描写することで、「文化抑圧」があるとしても結果的にそうなってしまったのだと暗に諭す。
グローバル化が進む 21 世紀において、多文化との接触が私たちに「驚き」をもたらし、その「驚き」にどのような種類があり、どのような反応が可能で、またその反応がどのような文化的営為と文化形成機能を果たしうるのかを、「驚き」の歴史を学ぶことで考えることにする。
「あっ体験」(Ach Erlebnis)という心理学の用語があります。これは、今まで気がつかなかったことを突然、了解したとき、「あっ!そうだったか」という深い感慨をともなった経験を指しています。
この肖像画の女性の首の後には、ラテン語で、「ああ芸術よ、もしもお前が行いと魂を描きだすことができるなら、この世にはこれ以上に美しい絵画は存在しないだろう」。
もう 30 年以上も前ですが、この銘が解読できたとき、手仕事をする労働者としてまだ地位が低かった画家は、自らの技量を誇り、その業績の重さに自負心を抱いているのだとわかりました。それだけではありません。この銘は画家ギルランダイオー自身の創作ではなく、実は古代ローマの詩人マルティアーリスの詩集から取られたものだということもわかりました。
詩人マルティアーリスには、これまでずっと大事にしてきた肖像画がありました。そこに描かれている友人は、今ではずいぶんと歳をとってしまいましたが、この友人の若い姿を画家が絵画の中だけでなく現実にも留めていてくれたら、この絵は天下一と、詩人は述べています。
ギルランダイオーがこの絵を描いた年には、モデルの貴族女性はすでに故人でした。とすると、画家はローマ詩人の言葉を逆手にとって、故人の姿は若いままだから、この絵は天下一と、ひとひねり入れた綺想を利用していることがわかります。
この絵には、まだまだ謎が潜んでいます。ブローチの竜はおそらく「永遠の名声」、ドレスの模様はフィレンツェのユリの紋章とかかわっています。こうして一枚の絵に秘められた何重もの「謎」を解き、その回答を見つけ出すたびに、そこには「あっ体験」がありました。授業ではこのような体験を毎回、皆さんと共有できるよう心がけています。
「未来はバックミラーのなかにある」(マーシャル・マクルーハン)という言葉がある。どのような事象も歴史的に把握しないと、事象の外貌にとらわれ事象の実態を見誤り、事象を自分で的確に意味づけることを忘れ、不適切な対処することになってしまう。
前期(A)は、メディア革命という視点から、16-17 世紀の印刷術(紙を媒体とした活版印刷)の興隆によって生じた文化革命について考察し、21 世紀の Web2.0 状況を再考する。
後期(B)においては、メディア革命によって生じた世界観の変化のうち、自然の中に散逸している「驚異」的な物事に人間の「好奇心」が触発されて、人間の視野が広がる一方で、自国宗教文化規範の優越性を再認するといったよじれた方向に展開したことを学ぶ。
前期授業Aと後期授業Bを続けて履修することが望ましい。
授業は講義とはいっても、ともに対話しながら考えていく形式で授業を進めていく。また講義の約3回ごとに内容理解を試す小テストを行う。課題へのレポート提出を最低二度行う。
講義の内容は以下の順にそっていく。
Daston, Lorraine, and Katharine Park. Wonders and the Order of Nature, 1150-1750. Cambridge: MIT Press, 2001.
[テキストは邦訳はない。歴史・科学の分野で二つの受賞歴がある評価の高い図書]
成績の評価は以下の基準にしたがって行う。授業出席(30%)、授業参加(35%)、小テスト・課題レポート(35%)。
March 25, 2020