講師 | 戸田山和久 教授 |
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開講部局 | 教育学部附属中・高等学校 2010年度 特別講義 |
対象者 | 附属高校1・2年生 |
ひとは何のために文章を書くのでしょうか? 自己表現のため? いえいえ、そもそも表現に足る自己をもっているひとなんてそんなにいやしません。文章を書くのは、サバイバルのため、明日を生き延びるためですよ。だとすると、文章には目的があって、それを届ける相手があるわけだ。特定の相手を動かす、これが文章の原点です。だから、文章には相手があり目的があります。ってなことを分かっていただくための練習をしましょう。
高校生の取り組みの様子 (PDF 文書, 189KB)
(授業後の大谷尚附属学校校長による振り返りインタビューより)
生き延びるために文章を書く。書けないと滅びてしまうわけではないけれども、我々の文字社会では不幸な目にあいやすい。よりよく生きるためには文章が書ける方がよい。
小学校で課せられている読書感想文は、子どもたちを混乱させるものであり、百害あって一利なしと思っています。実際に読むのは先生で、先生に気に入ってもらうことが文章の目的になっている。変な目的のために本がダシにされている。これでは作文も嫌いになるし、本も嫌いになる。Book Report (本を読んだことのない友人に本の内容を紹介しましょう)のように目的と相手がはっきりしたものならばよいのですが。
読書感想文は、感想の言語化を求めているという点でもすごく難しい。体験が豊かであればあるほど色んな感じを持つので、それを言語の形で述べるためにはものすごく高級な技術が必要です。初めのうちはそれよりもむしろ定型的な言語運用技術をトレーニングした方がよいと思います。小学生であっても、例えば、駅から小学校に来るまでの道順を書いてみましょう、というように目的をはっきりさせた作文の課題は可能です。
日本の大学生は諸外国の学生と比べて、言語運用能力が低いと感じます。大学の授業でも、目標と相手をはっきりさせた形で作文を書かせるトレーニングを行っています。例えば、単に授業内容を要約しなさいではなく、授業に出席していない他の学生に向けて、授業の内容を報告する文章を書きなさい、といった課題です。必ず目標と相手をはっきりさせた形で課題を提示しています。
このようなトレーニングは、大学生から始めても十分大丈夫ですが、早い段階で始める方が望ましいと思います。アポイントメントをとる手紙と授業のレポートで、最適な文体の使い分けができるといったように、中等教育までに何通りかの文体を持っているように育てた方が望ましい。実際、そういった教育は中等教育段階で十分できると思います。本来の国語教育はそういうスキルを身につけるものであるはずだと思います。今は残念ながら、そういった教育が行われていないので、大学で改めてやることになります。
レジュメ(A4 両面・人数分)
課題の封筒(人数分、グループごとに課題の絵は入れ替えてある)
パウル・クレーについての解説(A4 片面・人数分)
書く、のはいいが、イッタイ何のため?—サバイバルのための文章教室 (PDF 文書, 165KB)
May 16, 2020