2011年度 退職記念講義
講師 | 木股文昭 教授 | |
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開講部局 | 環境学研究科 | |
日時 | 2012/3/23 16:15-17:15 | |
場所 | 環境総合館1階レクチャーホール |
講師 | 木股文昭 教授 |
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開講部局 | 環境学研究科 |
日時 | 2012/3/23 16:15-17:15 |
場所 | 環境総合館1階レクチャーホール |
門前の小僧も 41 年、おかげで、勤労 20 年の銀杯もいただき、 誠に感謝する。41 年目の今年、ショックだが、目からうろこが落ちた。63 歳定年なら、混乱のまま足を洗うところだった。3 月 11 日、激しい揺れが収まらないうちに、気象庁は大津 波警報を発令。沿岸では辻々の防災行政無線スピーカーから避難命令が流れた。8 日前に津波避難訓練を行っていた町もある。海岸線に大防潮堤が聳える。津波を思い出す前に襲われた 2004 年スマトラ沖地震のアチェとは全く違った。でも、私たちは 2 万の人々を失ってしまった。
避難命令を一刻も早く伝えるために、辻々に無線スピーカーが設けられ、東京のスイッチ一つで列島中のスピーカーから警報が鳴り響く。一方、人件費削減を盾に、役場の宿直が廃止され、防災の迅速な対応が確実に遅れるようになった。35 年前、駿河湾地震が切迫すると若い地震学者が指摘した。しかし、政府は、「次は東海地震、地震が予知でき、戒厳令下で地震に備える」と歪め、「大震法」を成立させた。 当然ながら東海地震の前に大震災が阪神淡路と東日本を襲っ た。木曽三川域では家の周りを高くし、軒下に舟を吊るし、水害に備えていた。でも、地震の仕組みを教えなくてよい学校教育が進み、私たちは「ただごとでない」ことから身を守るのでなく、国が警報を出したので避難となった。私たち自身で私たちを守るのが防災の原点と確認したいものだ。
木股 文昭 (きまた・ふみあき) 環境学研究科教授
September 08, 2015