授業の内容
誰しも一度は心に浮かぶ「私とは何か?」、「私はどこから来たのか?」という疑問は、ギリシャ・ローマの時代から提起されている、人間にとってもっとも根源的・普遍的な疑問です。私たちの学ぶ医学は、病気を対象とする科学であると共に、この「私とは何か?」という疑問を物質的な基盤から追及してきた学問でもあります。
この講義では、生物の化学で学んだ私たちの体を構成する物質についての知識を元に、私たちの遺伝とは何か、遺伝子とは何か、その発現は如何に制御されているか、そしてその異常としての遺伝病はいかにして起きるかを学びます。
2003 年のヒトゲノムプロジェクトの完了とともに私たちの体を構成する遺伝子暗号が同定されました。しかし、DNA 配列の多くは暗号のままであり、どのゲノム領域がどのような制御を受けてどのタイミングでどのような細胞に発現をし、どのような機能を担うかの全貌はまだ明らかになっていません。「遺伝と遺伝子」の講義では、現在も解明されつつあるこの制御機構を学ぶとともにその異常による疾患についても学びます。さらに、遺伝子配列の違いが疾患へのなりやすさなど人の多様性を産む機構についても学びます。
授業の工夫
ヒトゲノム計画に代表されるようにいろいろな種の全長塩基配列決定が現在も盛んに行われつつあります。また、ハイスループットシークエンス機器が実用化され、全長ゲノム配列が個人レベルで決定されることになると思います。現在は全長ゲノム配列に含まれる情報の多くは膨大な暗号情報に過ぎませんが、そこにコードされているそれぞれの遺伝子の発現調節機構や遺伝子産物の機能の研究が活発に行われていますし、ヒトゲノムの中で98%をしめる非翻訳領域の機能についても今後盛んに研究が行われることになると期待されます。医学研究においても臨床においても、細胞遺伝学・単一遺伝子病研究・多因子疾患研究の知識は今後益々重要になっていくことと思います。
実際の講義では、動画を用いたり、芸能記事を含む最近の新聞記事の遺伝学的な側面を紹介することにより、親しみやすい話になるように心掛けています。一方、最先端の遺伝学研究では日本語を使う必要はありませんので、原則として英単語による講義を行っています。この講義を通して最先端の遺伝学研究を理解して頂き、将来、世界の遺伝学研究を背負って立つような人物が生まれることを期待しています。
達成目標
この数年のうちに個人の全長ゲノム決定が安価にできる時代が到来します。近い将来、臨床の現場でも個々の患者のゲノム情報に基づいた診断・治療が行われることになると予想をされます。各患者の腫瘍の変異遺伝子の情報も今後ますます日常臨床に応用が行われていくと予想をされます。
本講義の目標は、そのような時代に対応をできる遺伝学・腫瘍学の知識を学ぶことです。また、世界の遺伝学・腫瘍学の研究をリードし、臨床の現場へ知識を供給する研究者にとって必要な基本的な知識を学ぶことです。
講義内容
- 序論:遺伝、遺伝学、遺伝病、単一遺伝子病、多因子遺伝病
- 遺伝子と染色体の構造:ヒストン、DNA、クロマチン、ヌクレオソーム、中心体、テロメア、真核生物、原核生物
- ゲノムと遺伝子:ヒトゲノムアノテーション、エクソン、イントロン、反復配列、偽遺伝子
- 遺伝:メンデル遺伝、優性遺伝、劣性遺伝、伴性遺伝
- DNA の合成、複製と修復(1):DNA ポリメラーゼ、DNA フォーク、岡崎フラグメント、プライマーゼ、DNA リガーゼ、ミスマッチリペアー、エクソヌクレアーゼ、色素性乾皮症
- DNA の合成、複製と修復(2):同上
- 遺伝情報の転写と翻訳(1):セントラルドグマ、RNA ポリメラーゼ、スプライシング、スプライソゾーム、snRNA、コドン
- 遺伝情報の転写と翻訳(2):同上
- 遺伝情報の発現制御と疾患(1):シス・トランスの制御、プロモーター、エンハンサー、サイレンサー、TATA ボックス、CAAT ボックス、GC ボックス、Zn フィンガー、ロイシンジッパー、ヘリックス・ターン、ホメオドメイン
- 遺伝情報の発現調節と疾患(1):同上
- 細胞周期と細胞分裂(1):細胞周期、2倍体、4倍体、有糸分裂、減数分裂、キネトコア
- 細胞周期と細胞分裂(2):同上
- 遺伝子操作法の基礎:制限酵素、plasmid、塩基配列決定法、blotting、cloning、遺伝子の発現法、ライブラリー、PCR、Taq ポリメラーゼ、ディネーチャー、アニーリング、エクステンション、プライマー、鋳型 DNA、RT-PCR、リコンビナント蛋白質、トランスジェニック動物、遺伝子ターゲティング
- ゲノム解析:遺伝子の転座、点突然変異、SNP、マイクロサテライト、RFLP
- 臨床遺伝学 -単一遺伝性疾患-:単一遺伝性疾患、遺伝子変異の RNA レベル・タンパクレベル・細胞レベル・個体レベルへの影響、genotype phenotype correlation
- 臨床遺伝学 -多因子疾患- (Clinical Genetics - multifactorial disorders -):(The lecture is given in English.) SNV, SNP, CNV, statistics of genetics
- 遺伝カウンセリングとゲノム研究による病因・病態研究:双生児法、養子研究、遺伝環境相互作用、ゲノムコホート解析、全ゲノム解析、オミックス解析
- 名大病院における遺伝カウンセリングの実際:名大方式、各診療科連携による遺伝医療、ケーススタディー
教科書
以下の本を薦めます。
【原著】
- Bruce Alberts. Molecular Biology of the Cell, 5th Ed. Garland Publishing Inc.
- Harvey Lodish et al. Molecular Cell Biology , 6th Ed. W H Freeman & Co.
【翻訳】
- Bruce Alberts(著), 中村桂子・松原謙一(訳)「細胞の分子生物学」第5版、ニュートンプレス
- Harvey Lodish et al. (著), 石浦章一ら(訳)「分子細胞生物学」第5版、東京化学同人【Web resource】
両原著ともにhttp://www.ncbi.nlm.nih.gov/booksにて無料公開されています。
【気楽に読める本】
- 「遺伝子で診断する」 中村祐輔著、 PHP 新書
- 「オンリーワン・ゲノム—今こそ『遺伝と多様性』を知ろう」鎌谷直之著、星の環会
- 「心はどのように遺伝するか」安藤寿康 著、講談社ブルーバックス
総括責任者
神経遺伝情報学 大野欽司
参考資料
以下の本を薦めます。
- B. Alberts et al. , Essential Cell Biology , Garland Publishing Inc.
- Lodish et al. ,「分子細胞生物学」東京化学同人
外部リンク
ヒトゲノムマップをダウンロードすることができるサイト:
GENOME MAP |ヒトゲノムマップ http://www.lif.kyoto-u.ac.jp/genomemap/
課題
「遺伝と遺伝子」は講義形式で、学生発表など学生の積極的な授業への参加は行っていません。以下は 2007 年度の講義で学生に示した試験問題例です。この講義を通して学生に習得をしてもらいたいと我々が願っている知識の範囲が想像できるのではないでしょうか。
- ある2つの表現系が Mendel’s second law of inheritance に従わない場合、その理由を説明しなさい。
- Meiosis において recombination が起きる機構を説明しなさい。
- ABO 血液型の A 型 allele が 30%、B 型 alleles が 10%、O 型 allele が 60%の集団における O 型の表現系の割合を求めなさい。
- 以下の単語を説明しなさい(phenotype と genotype, homozygote と heterozygote, dominant inheritance と recessive inheritance) 。
- Nucleosome の構造を説明しなさい。
- マウスとヒトの synteny の存在は進化的に何を意味するか説明しなさい。
- Physical map と recombination map の違いを、centiMorgan の定義を含めて説明しなさい。
- Human genome のサイズ・遺伝子数・構成を述べなさい。
- LINEs, SINEs, minisatellites, microsatellites を説明しなさい。
- Gene structure を以下の単語を使って図示し、説明しなさい(promoter region, 5' UTR, exon, intron, 3’UTR, open reading frame) 。
- 20 種類のアミノ酸の full name in English, three letter code, one letter code を書きなさい。
- Missense mutations, nonsense mutations, splice site mutations, inframe DNA rearrangement, frameshift DNA rearrangement の違いを説明しなさい。
- 遺伝子変異のタンパク・細胞レベルへの影響から見て、dominant and recessive disorders の違いを説明しなさい(dominant negative effect, haploinsufficiency, gain of function, loss of function を説明すること)。
- X-inactivation の機構を XIST と XIC を使って説明しなさい。X inactivation を3種類例挙しなさい。
- mRNA, rRNA, tRNA, snRNA, snoRNA の違いを説明しなさい。
- Eucaryotic RNA polymerase II の転写開始機構を説明しなさい。
- Eucaryotic mRNA における mRNA capping と polyA addition の機構を説明しなさい。また、これら mRNA が必要である理由を説明しなさい。
- Pre-mRNA splicing に関わる trans elements である U1 snRNA, U2 snRNA, U2AF65, U2AF35 が結合する cis elements を挙げなさい。
- Ribosome の A, P, and E sites の役割を説明し、ribosome におけるタンパク合成機構を説明しなさい。
- 翻訳終結の機構を説明しなさい。
スケジュール
回 |
講義内容 |
担当者 |
1 |
序論:遺伝と遺伝子、遺伝病 |
大野欽司 |
2 |
遺伝子と染色体の構造 |
3 |
ゲノムと遺伝子 |
大野欽司 |
4 |
遺伝:優性、劣性、伴性遺伝 |
5 |
DNAの合成、複製と修復 |
鈴木元 |
6 |
7 |
遺伝子情報の転写と翻訳:セントラルドグマ、転写と翻訳、スプライシング |
大野欽司 |
8 |
9 |
遺伝子情報の発現制御と疾患:プロモーター、エンハンサー、転写因子 |
岡本尚 |
10 |
11 |
細胞周期と細胞分裂 |
浦野健 |
12 |
13 |
遺伝子操作法の基礎 |
千賀威 |
14 |
ゲノム解析 |
15 |
臨床遺伝学 -単一遺伝性疾患- |
秋山真志 |
16 |
臨床遺伝学 -多因子疾患- (Clinical Genetics -multifactorial disorders-)
|
Branko Aleksic |
17 |
遺伝カウンセリングとゲノム研究による病因・病態研究 |
尾崎紀夫 |
18 |
名大病院における遺伝カウンセリングの実際 |
山本正彦 |
講義ノート
神経遺伝情報学(大野欽司)
-講義用パワーポイントファイルより抜粋
ゲノムマップ(京都大学大学院生命科学研究科生命文化学研究室制作)
成績評価
講義および試験による。履修認定は、講義への出席率(50%以上)によります。