タグ「医学部」には 22 個の授業があります.

私は本年3月末で名古屋大学を退任いたしま す。学生または医師として鶴舞の医学部/附属 病院にて 37 年間を過ごさせて頂きましたので、鶴舞にはつらい思い出や楽しい思い出が数多く 残っています。若い時のつらい思い出としては、学位研究であります。良いデータを得るのに時間がかかり論文作成に苦労しました。楽しい思い出は、そのデータを用いてアメリカ消化器病学会で発表が出来たことです ....

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家族看護とは何か,家族看護における看護職の役割,健康問題を中心にした家族看護アセスメント方法および家族全体のQOLに資する援助方法の基本について講義する。 1. 家族看護の定義と目標および家族看護学の主要な理論について説明できる。 2. 家族の発達段階とその特徴,各期における家族の発達課題について説明できる。 3. 家族アセスメントの目的と方法の概要が説明できる。 4. 健康 ....

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この講義は癌の発生や浸潤・転移に関するメカニズムの基礎を学ぶキャンサーサイエンスコース内で開講されている講義であり、腫瘍学全般に関する歴史的背景から最新の研究動向までを概観する講義です。 ....

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私は2015年3月末をもって名古屋大学を定年退職します。名古屋大学在職中に関係の皆様から寄せられたご厚情に対し、心よりお礼申し上げます。私は名古屋大学において、2つの部局でお世話になりました。医学部 (医学系研究科) と教育学部 (教育発達科学研究科) です。私は医学部を卒業後、精神医学教室で、一般精神医学と児童精神医学のトレーニングを受けました。その間10年近く、いくつかの公的精神病院に勤務 ....

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建築学科の助手として教育研究に専念する生活を一段落させ、鶴舞団地の再開発計画を策定するため、平成元年に医学部に講師として派遣されたことが大きな転機でした。それまで鶴舞の再開発計画は外部委託で作成されていたのですが、 本省では全く認められないため、学内専門家の派遣という手段を執行部が判断したことによります。 施設部の職員と共に業務を開始しましたが、本省からは建築計画の前に、現状にどのような問 ....

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昭和63年9月に名古屋大学に着任してから25年が過ぎました。長いようで過ぎてみれば一刹那です。「歳月人を待たず」、「光陰矢のごとし」月並みではありますが、退任に際し実感する言葉です。 最初は医学部でお世話になり、先端技術共同研究センターを経てエコトピア科学研究所で定年を迎えました。私の専門は細胞生物学で、生命現象の「場」としてのアクチン細胞骨格の空間構造を電子顕微鏡により解析しております。 ....

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私は昭和50年名古屋大学医学部を卒業し、内科医として計4年勤務後、母校に血液内科医として戻ってきました。その後、免疫学教室に移り、研究と教育に従事しました。英国への留学、国立長寿医療研究センターと多彩な場所での研究生活を送り、最後に10年間母校の教授ができたことはとても恵まれていました。私が卒業した頃と現在を比較しますと、研究の面でも医学の臨床の面でも、とても進歩しました。日本中の人が世界に追 ....

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精神障害の特徴は、中枢神経系高次機能の障害としての生物学的特性を有する点と、個人を取り巻く心理・社会的要素が環境因子としてその病態や臨床に影響する、という点にある。したがって、生物・心理・社会という多面的なとらえ方が、精神障害の理解においては重要である。本講義においてもこの点に留意して、精神症状の把握・評価、検査、薬物療法を中心とした身体的治療、精神療法(心理社会的治療)、精神障害の成因論とい ....

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2017年 3 月をもって名古屋大学を退任することとなりました。最初に、1998年10月に着任以来お世話になった先輩の先生方、同僚の皆さん、後輩の皆さん、事務の方々に感謝の意を表しておきたいと思います。総合診療科は「全ての健康問題の窓口」となる診療科で、名大では私が赴任してから本格的な部門創りが始まりました。まず外来診療を名大病院の一室で開始し、その後数年して入院診療も開始しました。当初複 ....

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医学部に保健学科が設置されたのが19年前の平成10年 4 月です。以来そこに籍を置き、今回退職するまで名古屋大学にお世話になりました。放射線技術科学専攻を擁する国立大学では大阪、金沢に次いで 3 番目です。その後、全国で11の国立大学が設置されましたので名古屋大学は比較的早い方だったと思います。この専攻は、診療放射線技師を養成しており、その学問領域として放射線技術学を標榜しています。これは診療 ....

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1972年に医学部の教員となって以来、37年間名古屋大学で過ごしたことになります。1998年から新設された保健学科でしたが、学部運営の確立、博士前期課程、さらに後期課程の立ち上げと、教育研究組織の整備に多くのエネルギーを注ぎました。新しい保健学科をつくるという夢のある時間でもありました。博士課程設立後には、自治体や企業の保健師さんが大学院に入学してきて、私の研究フィールドも広がり、研究テーマも ....

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授業の内容:本セミナーを受講することで、自分の意見を他者に伝える・聞くことを意識した15回構成としている旨を学生に伝えている。また、一般的に「看護師とは何をする職業か」のイメージはついても、「看護師の研究」を捉えることが難しい。そのため、3年生より始まる卒業研究、博士課程への進学につながるように、「女性と健康」をテーマに、自ら課題を見つけ、取り組むようにしている。 ....

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本授業は,18歳未満の発達期になんらかの障害をもった子どもたちが乳幼児期から成人,老年期に至るまでの作業療法の治療理論と技術を学習し,身につけることを目指しています.病気や事故から生じた障害と共に,子どもたちが自分らしく社会と共生しながら,自己実現できるような支援体制の中で,子どもたちにとって意味のある作業活動(例えば,日常生活活動,遊び,趣味,学習,買い物,レジャーなど)を手段として作業療法を実 ....

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病理学はヒトの病気の成り立ちを学ぶ「基礎と臨床の架け橋」となるコースであり、総論・各論と症例検討より構成される。 * 総論では、疾病の原因および本質に関する一般原則を考究する。特に、疾病時の肉眼的・組織学的変化および細胞小器官の変化について学習する。実習として形態学的観察ならびにそのスケッチを行うことにより、講義内容について、より具体的なイメージを持つことができるよう指導する。スケッチのため ....

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私は平成7年4月に名大に赴任しましたので、この3月でちょうど20年になります。この20年間に名大全体あるいは医学部/医学系研究科、附属病院は大きく変わったと思います。まず第一は法人化だと思います。中期目標・中期計画を立てて、研究・教育・診療を推進し、その達成度の評価を受けるというやり方は、それまで大学にはなかったシステムです。本来大学は個人が自由にものを考え実践する場で、これは大学にはふさわし ....

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誰しも一度は心に浮かぶ「私とは何か?」、「私はどこから来たのか?」という疑問は、ギリシャ・ローマの時代から提起されている、人間にとってもっとも根源的・普遍的な疑問です。私たちの学ぶ医学は、病気を対象とする科学であると共に、この「私とは何か?」という疑問を物質的な基盤から追及してきた学問でもあります。この講義では、生物の化学で学んだ私たちの体を構成する物質についての知識を元に、私たちの遺伝とは何 ....

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本講では、名古屋大学における先進的医学研究者と先端的工学研究者を招き、医工連携がもたらす新しい医工学についての総合的な素養を身につけることを目的とする。 ....

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私は名古屋大学医学部を1976年に卒業し、医師としての研修を終えて、81年に大学へ戻ってきました。医学部ではこれを“帰局”と称し、学位取得が主な目的でした。当初、私自身は箔をつけて再び病院へ出ようと考えていたのでしたが、研究が面白くなり、ズルズルとお世話になりました。面白くなったきっかけの一つは、理学部で分子生物学(者)と出会ったことですが、90年代からの“がん分子標的治療”の流れにうまく乗れ ....

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私は、1976年金沢大学医学部卒業後、しばらくは臨床に従事してきましたが、1981年シカゴ大学への留学を機に研究に携わることになりました。そして、留学中に名大環境医学研究所(環研)からお誘いがあり、1984年から約30年間環研で医学研究を続けてきました。1997年には教授に就任しましたが、翌年松尾総長により招集された「名大の将来を語る会」の第1期メンバーの一員として加わることができ、医学部のみ ....

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「発生学」は毎年、最も劇的に、研究成果が教科書の修正や加筆につながっている分野である。再生医療や生殖医療など、社会的な討論のタネとなる話題もきわめて豊富である。つまり、みずみずしく生きている。また、「発生」はじつは「ガン」の「知恵袋」であるので、その営みを知ることが「ガン」の「悪知恵」を暴きその営みを封じることにつながる。加えて、医学科学生が学ぶ「発生学」には、発生過程をひとつの「正常モデル」とし ....

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