タグ「後輩」には 9 個の授業があります.

私は、1978年に大阪大学で博士課程を終了し、東北大学、科学技術振興機構に勤めた後1995年に設置されたばかりの理工科学総合研究センターに赴任いたしました。それから丁度20年、名古屋大学で教育・研究に従事させていただきました。主分野は電子顕微鏡学で、装置や手法の開発に携わって来ました。有難いことに、本学では学生の教育とともに、自由に研究することが許され、いろいろなプロジェクトで楽しく研究をさせ ....

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名大名誉教授にさせていただき、これからはOBの立場から、名大の益々の発展に私なりに少しでも貢献できればと考えています。 退職の直前には、名大OCWのご協力により、最終講義や名大医学部戦没者名簿につき映像によるメッセージを残しました。医学部戦没者名簿については、2013年秋の医学部学友大会で南海トラフ大地震の話を福和伸夫先生にしていただくことになり、大地震も戦争も一度に多くの人が亡くなる点で ....

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このページの紹介動画は、濵口先生からの「後輩へのメッセージ」です。 最終講義の資料と映像は「講義資料」の項でご覧いただけます。 ....

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13年間に及ぶ名古屋大での教員生活のうち、兼任をしておりました工学研究科機械理工学専攻の前身である機械工学専攻に1年間所属し、その後先端技術共同研究センターとエコトピア科学研究所に所属しましたので、通常の教員の方々が大学院研究科を本務とする時間が長いことに比べて少し変わった過ごし方をさせていただいたと思っております。この間総長補佐(産学官連携担当)や研究所副所長を務めさせていただき、大学の管理 ....

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1983年に名古屋大学に着任して以来、本学には31年間お世話になりました。 1975年、大学院の学生だった私は、助手へのお誘いを受けて前任の大学の教員になりました。当時の国立大学教員の給与は景気の良い民間企業と比べて低めで、一流と言われていた民間企業に就職を果たした友人達からは何を好き好んで大学にと言われましたが、給料をいただいて勉強ができるという、他では得られない自由な時間を手に入れるた ....

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 1987年に文学部印度哲学史講座助手として赴任して以来33年間名古屋大学にお世話になりました。1973年に名古屋大学に入学したので、途中でインド留学が3年程ありましたが、半世紀近くこの東山地区に関わったことになります。学生時代は、インド留学時代も含めて師に恵まれて幸運でした。先輩や後輩、友人と楽しい時を過ごしたことも忘れられません。研究室(現インド哲学分野・専門)の運営では同僚の方々の力の大き ....

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2017年 3 月をもって名古屋大学を退任することとなりました。最初に、1998年10月に着任以来お世話になった先輩の先生方、同僚の皆さん、後輩の皆さん、事務の方々に感謝の意を表しておきたいと思います。総合診療科は「全ての健康問題の窓口」となる診療科で、名大では私が赴任してから本格的な部門創りが始まりました。まず外来診療を名大病院の一室で開始し、その後数年して入院診療も開始しました。当初複 ....

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私が今年名古屋大学を無事退職することができるのは5人の師匠のお陰だと心から感謝しています。学生運動が盛んな昭和44年に入学し、有り余る時間に陸上部長で指導教官だった三浦望慶先生の体育の実験を手伝いました。これが自然を科学する喜びを教えてくれた最初だと思います。 次は早川幸男先生、田中靖郎先生、山下広順先生です。学生の私は早川教授室へ行くのに決心が必要でしたし、ピリピリした緊張感の中でご指導を受 ....

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私は名古屋大学医学部を1976年に卒業し、医師としての研修を終えて、81年に大学へ戻ってきました。医学部ではこれを“帰局”と称し、学位取得が主な目的でした。当初、私自身は箔をつけて再び病院へ出ようと考えていたのでしたが、研究が面白くなり、ズルズルとお世話になりました。面白くなったきっかけの一つは、理学部で分子生物学(者)と出会ったことですが、90年代からの“がん分子標的治療”の流れにうまく乗れ ....

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