タグ「年月」には 15 個の授業があります.

私は2015年3月末をもって名古屋大学を定年退職します。名古屋大学在職中に関係の皆様から寄せられたご厚情に対し、心よりお礼申し上げます。私は名古屋大学において、2つの部局でお世話になりました。医学部 (医学系研究科) と教育学部 (教育発達科学研究科) です。私は医学部を卒業後、精神医学教室で、一般精神医学と児童精神医学のトレーニングを受けました。その間10年近く、いくつかの公的精神病院に勤務 ....

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私は1994年に当時の郵政省通信総合研究所から名古屋大学大気水圏科学研究所の共同研究観測プロジェクトセンターに教授として異動しました。当時、故武田喬男先生が共同利用の航空機の導入に尽力されており、私もそのお手伝いをさせて頂きましたが、それは残念ながら実現しませんでした。共同研究観測プロジェクトセンターは共同研究の企画や実行の支援をする組織と位置付けられており、国際協同観測計画の国際事務局の事務 ....

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本講義は、民法第2編に規定されている物権を扱うものである。物を所有・支配する、取引により物を流通させる、担保により債権回収の実をあげる等、物権法の規律する法理は経済活動の根幹をなすものであり、古くから学説・判例が緻密な理論を積み重ねてきた。加えて近時は、区分所有法や担保法の改正等、この領域でも社会の複雑化・多様化にあわせ、新たな動きが種々みられる。この講義を通じて、経済秩序の基底にあるものを理解し ....

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1979年11月に名古屋大学を離れ、ナイジェリアの国際熱帯農業研究所、日本の農林水産省農業研究機関や独立行政法人で研究し、2005年4月、26年ぶりに名古屋大学に戻りました。農学は実学で、農業生産を高めるために行う研究であることを在学中に学び、根粒菌研究のスタートがアフリカであったので、今でも農学は現場で通用する技術開発のための研究だと思っています。フィールド研究とはやや異なる観点ですが、現場 ....

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私が名古屋大学法学部に助手として採用されたのは1979年4月であり、この3月で勤続37年ということになる。ただしその前に大学院生として5年間在籍したこともあり、名古屋大学での私の生活は42年となる。まだ大学紛争の熱も冷めやらぬ京都大学を卒業し、本学の大学院に進学した私にとって、本学の雰囲気はとても平穏であり、ここで、横越英一先生をはじめとする素晴らしい指導教授の下で研究に没頭できたことは、 ....

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1992年4月に国立極地研究所から太陽地球環境研究所に異動して来ました。それ以来、名古屋大学には24年の長きに亘りお世話になりました。あっという間の四分の一世紀でしたが、楽しくもまた自分の能力以上の仕事もすることができ充実した時を過ごさせて頂きました。お世話になった諸先輩、 仲間の方々、一緒に過ごした教職員や学生の方々に深く感謝いたします。私は宇宙科学、特に極域観測や人工衛星を用いた地球周 ....

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1973年4月に大学院文学研究科の修士課程に入学して以来今年3月の退職まで、私の名古屋大学での生活は43年及びます。初めは大学院生として、1980年に助手となってからは教員として、同じ文学部に通いました。文学部の建物は耐震改修されましたが、骨格は40年前と変わりません。三階の暗い廊下を歩いていると、ふと、40年前のまだ何になるのか解らない自分に出会う気がします。当時の国史学研究室(現在の日 ....

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1979年4月、工学部附属自動制御研究施設の助手に採用され、学科の新設、大学院重点化などの組織改革の流れの中で、情報工学教室、電子機械工学教室と所属が変わりましたが、一貫して「システム制御の研究と教育」に携わることができ、しかも、この間、すばらしい先輩、同僚、学生諸君に支えていただいたことを心から感謝しております。 学生諸君には、学業に励み、専門的な知識や技術者としての素養を育んでもらうこ ....

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2017年 3 月をもって名古屋大学を退任することとなりました。最初に、1998年10月に着任以来お世話になった先輩の先生方、同僚の皆さん、後輩の皆さん、事務の方々に感謝の意を表しておきたいと思います。総合診療科は「全ての健康問題の窓口」となる診療科で、名大では私が赴任してから本格的な部門創りが始まりました。まず外来診療を名大病院の一室で開始し、その後数年して入院診療も開始しました。当初複 ....

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1994年12月に京大ウイルス研究所から名大農学部に赴任しました。当初は阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件など暗い世相が待ち構えていましたが、東山公園や近隣の見事な桜に癒されました。研究所とは異なって多くの学部/大学院学生と接することにより、気持ち的にとても若返ることができました。肉体的な衰えは仕方ないとしても精神的な年齢を若く保つためには、新しいことに絶えず挑戦する意欲をもち続けることがその秘 ....

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2004年5月当時の胸部外科学講座に助教授としてお招きいただき、およそ15年間お世話になりました。卒後長らく一般病院に在籍し50歳にして初めて大学に戻りましたので、当初は診療以外の教育・研究に戸惑うことも多々ありましたが、多くの皆様のご協力を得て、曲がりなりにも務めを果たせたかなと思っております。2013年4月には胸部外科学講座から分離独立させていただき、名古屋大学に初めて呼吸器外科学講座 ....

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2001年4月に理学研究科・物質理学専攻(化学系)に分子科学研究所との併任で赴任して早いもので18年になります。その間、野依先生をはじめとする6名の方々がノーベル賞を受賞し、授賞式に出席出来たことなど、望外の思い出です。名大赴任に際し想像できなかった出来事は、濵口先生が総長に就任する際、研究と国際担当の副総長に指名されたことです。名大在職8年目で、評議員や研究科長の経験もない人間を抜擢する ....

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名古屋大学の教員として二度お世話になりました。若い人たちと未知の生命分子の研究に取組み、成果を論文にまとめ、世界の研究者と交流のできる特別な環境を享受できた年月でした。2011年春には、大震災・事故があり、多くの人と同様に、広く周りの人のためにこそ人は懸命になれるという気持ちの中で大学としての対応にも取組みました。研究科運営、大学の評価・総合企画、博士課程教育プログラムも担当させていただき格別 ....

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私は1977年4月に助手に採用されて以来、38年間の永きにわたり、名古屋大学で教育・研究に携わることができました。これもひとえに一緒に学び、考え、躓きながらも歩み続けていただいた教職員および学生たちのおかげです。研究では、伝熱工学と燃焼工学の様々な課題を取り上げ、学生たち一人一人にできるだけ自由に選ばせることを心がけました。毎週のセミナーや研究打ち合わせでは、思い通りの結果でないことを悔や ....

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名古屋大学にドイツ語講師として着任してから、24年もの年月が過ぎてしまいました。この度無事定年退職ができるのも、ひとえに素晴らしい同僚たちや職員の方々、そしてとりわけ優秀な学生たちに恵まれたおかげであり、この場を借りて心から感謝の気持を表したいと思います。 愛知県に生まれ、またこの地で育った私にとりましては名古屋大学の評判は昔から大変良く、いつかそのような大学で仕事ができるとは夢にも思いま ....

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