タグ「学生諸君」には 10 個の授業があります.

何かを伝えようとする時、その表現にはさまざまな「かたち」が用いられます。身振り、音楽、文字、絵画、映像・・・。文字で表現する場合でも、メモ、手紙(私的なもの・公的なもの)、文書、詩、散文、小説・・・。それら媒体の異なりは直接表現の違いになります。そうした特徴を理解したうえで表現されたものを「読んで」(理解して)みましょう。伝えようとする人は理解されることを望んでいます。そのためにいろいろな工夫 ....

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私は1994年に当時の郵政省通信総合研究所から名古屋大学大気水圏科学研究所の共同研究観測プロジェクトセンターに教授として異動しました。当時、故武田喬男先生が共同利用の航空機の導入に尽力されており、私もそのお手伝いをさせて頂きましたが、それは残念ながら実現しませんでした。共同研究観測プロジェクトセンターは共同研究の企画や実行の支援をする組織と位置付けられており、国際協同観測計画の国際事務局の事務 ....

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名古屋市立大学での16年間の勤務の後、1999年名古屋大学に赴任し、14年間の歳月が立ちました。40代までは自分の人生の長さは無限のように思って生活していましたが、名古屋大学に来てからは、残り10年余の限られた貴重な時間の充実した研究・教育の場にしたいと思ってやってきました。このような思いもあって、大学院の重点化や大学の独立行政法人化とめまぐるしく大学改革が進む中で、落ち着いて研究・教育に専念 ....

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この授業では、まず本学における留学生受け入れの実態を把握し、留学生が勉学その他の日常生活で直面する問題点を取りあげ、ディスカッションを行います。次に、グループ分けを行い、それぞれグループでテーマを決め、資料を作成し発表してもらいます。グループの中には必ず留学生を入れ、専門用語や背景知識の伝達をその場で行うことで、留学生に分かりやすく説明するテクニックを学ぶことにします。 この授業は、留学生セン ....

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私の大学生活を振り返ってみますと、最初は学問の基礎を学ぶ教養部の人文・社会と自然科学の勉強に始まりました。勉強をあまりしなかったということで、教養不足の自覚があったのを明確に覚えております。そのような経緯で、名古屋大学で教えるようになってからも、「教養部」という響きの故に敷居が高く感じられ、将来有る若者に悪い影響を与えては申し訳ないと思い、「基礎セミナー」のような各自の勉学の方向性に影響を与え ....

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1979年4月、工学部附属自動制御研究施設の助手に採用され、学科の新設、大学院重点化などの組織改革の流れの中で、情報工学教室、電子機械工学教室と所属が変わりましたが、一貫して「システム制御の研究と教育」に携わることができ、しかも、この間、すばらしい先輩、同僚、学生諸君に支えていただいたことを心から感謝しております。 学生諸君には、学業に励み、専門的な知識や技術者としての素養を育んでもらうこ ....

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昭和53年より名古屋大学大学院医学(現、医学系)研究科生化学第二(現、分子細胞化学)研究室に大学院生および助手として合計で9年間在籍し、その後平成20年よりに名古屋大学大学院生命農学研究科栄養生化学研究室に教授として約11年間務めました。従いまして合計で約20年間もの長い間名古屋大学にお世話になりました。私の専門は、生化学を基礎とした栄養学ですが、名古屋大学で研究を実施できたおかげで、自身のラ ....

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環境問題については多くの学生諸君が興味関心を持っているものの、マスメディアからの情報だけでは正確な理解を得られないことが多い。環境問題の「常識」をひとつひとつ検討しながら、いろんな側面から一つの問題を考えること、一つの問題は他の問題と関連しあっているものととらえること、環境問題とは地球と社会にまたがる一つのシステムの問題であるという見方ができること、を目標とする。 ....

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生物の生命活動の基本単位である細胞について学ぶ。細胞という空間の中で、遺伝学及び生化学で学ぶ種々の生命分子が、どのようにして細胞固有の活動 (物質の取り込み、エネルギー産生、細胞運動と輸送、接着、成長・分裂、刺激応答等) を営んでいくのかといった基礎概念を、主に真核生物の知見を通して理解することがねらいである。これらの内容は基礎細胞学Ⅰ、Ⅱを通して学ぶものであるので、学生諸君は全てを履修すること。 ....

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民間企業の研究所での研究活動を終えて名古屋大学に着任して18年が過ぎようとしています。18年という長い年月も過ぎてみると早いものです。この間、常に若い学生と接することができ、おかげで、私自身も精神的には若さを保つことができました。着任した当初、卒業式の日に学生が嬉しそうにお礼のあいさつに来てくれるのとは裏腹に、私にとっては落ち込みの日でした。ようやく育った学生がいなくなりまたゼロから育てること ....

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