タグ「同僚」には 9 個の授業があります.

いつも親切に対応してくださった事務職員の方々や協力して下さった同僚の先生方、向学心旺盛な学生たちに支えられて、24年間にわたって教育研究に携わることができましたことに、感謝の気持ちで一杯です。心よりお礼を申し上げます。国際シンポジウムを日本とフランスで7回にわたり開催したりフランス文学会の全国大会を引き受けたりしたのも、名古屋大学に在職していればこそできたことでした。学生たちと授業や木曽高原 ....

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私は1994年に当時の郵政省通信総合研究所から名古屋大学大気水圏科学研究所の共同研究観測プロジェクトセンターに教授として異動しました。当時、故武田喬男先生が共同利用の航空機の導入に尽力されており、私もそのお手伝いをさせて頂きましたが、それは残念ながら実現しませんでした。共同研究観測プロジェクトセンターは共同研究の企画や実行の支援をする組織と位置付けられており、国際協同観測計画の国際事務局の事務 ....

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 1987年に文学部印度哲学史講座助手として赴任して以来33年間名古屋大学にお世話になりました。1973年に名古屋大学に入学したので、途中でインド留学が3年程ありましたが、半世紀近くこの東山地区に関わったことになります。学生時代は、インド留学時代も含めて師に恵まれて幸運でした。先輩や後輩、友人と楽しい時を過ごしたことも忘れられません。研究室(現インド哲学分野・専門)の運営では同僚の方々の力の大き ....

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1979年4月、工学部附属自動制御研究施設の助手に採用され、学科の新設、大学院重点化などの組織改革の流れの中で、情報工学教室、電子機械工学教室と所属が変わりましたが、一貫して「システム制御の研究と教育」に携わることができ、しかも、この間、すばらしい先輩、同僚、学生諸君に支えていただいたことを心から感謝しております。 学生諸君には、学業に励み、専門的な知識や技術者としての素養を育んでもらうこ ....

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2017年 3 月をもって名古屋大学を退任することとなりました。最初に、1998年10月に着任以来お世話になった先輩の先生方、同僚の皆さん、後輩の皆さん、事務の方々に感謝の意を表しておきたいと思います。総合診療科は「全ての健康問題の窓口」となる診療科で、名大では私が赴任してから本格的な部門創りが始まりました。まず外来診療を名大病院の一室で開始し、その後数年して入院診療も開始しました。当初複 ....

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私は1993年から24年間お世話になりました。1970年に法学部に入学し、大学院と助手も含めての10年をあわせると34年間になります。学部入試会場が工学部の旧一号館で、よそ者ながらあの建物は好きだったので、なくなったのにはがっかりしました。講義を受け、演習をし、書を読み、覚醒させられ、ささやかな学問的達成感を持ったのは、改築前の法学部棟においてでしたが、学部生や院生が集い談笑するための学生控 ....

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定年を1カ月後に控えて、はたと考え込んでしまった。何を書いたらいいのかと。2000年秋に名古屋大学の経済学研究科附属国際経済政策研究センター(当時、国際経済動態研究センター)に赴任して、それ以後は矢のように時間が過ぎた。 気づけば定年を迎えている。大学の法人化、所属センターの存続問題もあった。大学は地域社会への貢献は勿論、国際社会での競争に直接晒されるようになった。学年暦もそれほど遠くない将来 ....

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定年まで3年を残して名大を去り、明治大学法科大学院へ移ります。法科大学院の設立と同時に赴任し、法科大学院長もさせていただいた9年間でしたが、学生、院生、助手時代を合わせると20数年間、東山キャンパスにいましたので、まさにホーム・ランドでした。これまで帰属意識の低い人間だと自認してきましたが、こうして退職することになると、結局、名大人として生きてきて、これからもそうなのだろうと思います。名大のよ ....

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定年に際し感想を書け、ということですが、いろいろあったなという想いが先行し、なかなかまとまりません。18年前に名大に戻った時には予想もしなかったことがいろいろあり、長かったようで、短いような感じに捉われます。いつかくる定年の時には、静かに来し方行く末を考えてみたいと思っていましたが、現実は、例年と全く同じような速度で時間が流れて行きます。 とはいえ、改めて思えば、これまでの皆さんのご厚情に ....

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