授業ホーム
  • 授業一覧から探す
    • 教養教育院
    • 文学部・文学研究科
    • 教育学部・教育発達科学研究科
    • 法学部・法学研究科
    • 経済学部・経済学研究科
    • 情報文化学部
    • 理学部・理学研究科
    • 医学部・医学系研究科
    • 工学部・工学研究科
    • 農学部・生命農学研究科
    • 国際開発研究科
    • 多元数理科学研究科
    • 国際言語文化研究科
    • 環境学研究科
    • 情報科学研究科
    • 創薬科学研究科
    • 国際教育交流センター
    • 国際言語センター
    • 名古屋大学ラジオ公開講座
    • 退職記念講義アーカイブ
    • nuocwをフォローしましょう
    • 過去の特集ページ
    • 教員の方へ
    • NU OCW Podcast
      RSS を iTunes の "Podcast" にドラッグ&ドロップすると、ポッドキャストが登録されます。
      (iTunesは最新版をお使いください)
  1. ホーム >
  2. 国際言語文化研究科 >
  3. 多元比較表象論ab >
  4. 授業ホーム
授業ホームシラバス講義資料

Loading the player...

開講部局:国際言語文化研究科

鈴木繁夫 教授

多元比較表象論ab

授業時間 2011年度通年後期金曜2限 前期金曜2限
対象者 国際言語文化研究科 国際多元文化専攻

2単位(前期・後期ともに)、週1回全15回

授業の内容

[前期:多元比較表象論A - 印刷術の誕生と文化革命]

インターネットは、今の多くの私たちにとっては、公的には場所と時間の制約からできるだけ自由になって共同作業を行っていくための道具であり、私的には好縁を育成し強固なものにしていくための手段と理解されている。意思疎通のためのメディアという考え方は、21世紀に独特なものではなく、西洋では16-17世紀にすでに確立していた。この新メディアは、千数百年続いた筆耕と羊皮紙を介して修道院・大学図書館をインフラとする、顔が見える対面情報伝達文化に取って代わった。

こうした歴史的視野に立つと、現に私たちが経験し実際に抱いているメディア観、それに付随する文化のあり方も異なって見えてくる。そしてその次に待ちかまえているのは、では自分はどう考えるかにかかってくる。なぜなら現実の心情としては、発信者のわからない情報の波に呑まれているよりも中世的な小さなまとまりの空間のなかで互いに気心が知れている(と思い込んでいるか、そう思い込みたい)共同性に賛成だが、それに積極的に賛成することには、当為必然が含意されていないからだ。

授業では、エリザベス・アイゼンステイン『印刷革命』(原題 The Printing Press as an Agent of Change)に沿って議論を展開しながら、こうした図式が成り立っている歴史的背景をさぐっていく。 なおアイゼンステインは、歴史を記述する際には、いつも暗黙の内に現代の人間観が肯定されており、「価値中立的な語法」(ロラン・バルト)による「いま・ここ・私」に向かって進む歴史として要領よくまとめている。フーコーの「人間の終焉」や「知の考古学」という視点はまったくない。その意味でとてもおとなしい歴史叙述書になっているので、批判的に読むことが要求される。

[後期:多元比較表象論B - 未知と驚異の文化史]

「驚きは思索の始まり」というアリストテレスの言葉が示しているように、「驚き」は人間を現状満足の停滞状態から前へと触発する起爆剤である。「驚き」は、驚異・奇跡・好奇・奇怪といったように、向かい合う対象の幅が広く、個人の視野を拡大させ、そのように種々に受け止める人間の感性を柔軟にさせる。しかしそれとともに、現状の正当性確認の装置としても機能してしまう。なぜなら「驚き」を欠いた現状が「まとも」であることを再認させてしまうからだ。

従来、「驚き」の歴史は、未開・無知から啓蒙へといった単線的進歩史観か、マックス・ヴェーバーのいう「魔術からの解放」という近代化志向、はたまた人間の発見・解明努力を通じた真理の暴露過程、さらには文化格差による一方の文化から他方の文化の抑圧といったといった路線で語られることがほとんどであった。これに対して、博覧強記の科学史家ダストンとパークは、「世界の名著」といった正典化された書籍に基づく「驚き」の記述から逸脱して、これまで読まれず見過ごされてきたテキストを起点にして、退歩・進歩や中世・近代といった二項対立思考がまやかしであり、これらは九重八重に互い折り重なっていることを、多くの図像を用いながら説明する。また、16-17世紀の個人蒐集家や私設博物館を取り上げて、努力ではなく好奇からたまたま「本当」がわかってしまったという僥幸(いわゆるセレンデピティ)の連続を描写することで、「文化抑圧」があるとしても結果的にそうなってしまったのだと暗に諭す。

グローバル化が進む21世紀において、多文化との接触が私たちに「驚き」をもたらし、その「驚き」にどのような種類があり、どのような反応が可能で、またその反応がどのような文化的営為と文化形成機能を果たしうるのかを、「驚き」の歴史を学ぶことで考えることにする。

授業の工夫

「あっ体験」(Ach Erlebnis)という心理学の用語があります。これは、今まで気がつかなかったことを突然、了解したとき、「あっ!そうだったか」という深い感慨をともなった経験を指しています。

肖像画

この肖像画の女性の首の後には、ラテン語で、「ああ芸術よ、もしもお前が行いと魂を描きだすことができるなら、この世にはこれ以上に美しい絵画は存在しないだろう」。

もう30年以上も前ですが、この銘が解読できたとき、手仕事をする労働者としてまだ地位が低かった画家は、自らの技量を誇り、その業績の重さに自負心を抱いているのだとわかりました。それだけではありません。この銘は画家ギルランダイオー自身の創作ではなく、実は古代ローマの詩人マルティアーリスの詩集から取られたものだということもわかりました。

詩人マルティアーリスには、これまでずっと大事にしてきた肖像画がありました。そこに描かれている友人は、今ではずいぶんと歳をとってしまいましたが、この友人の若い姿を画家が絵画の中だけでなく現実にも留めていてくれたら、この絵は天下一と、詩人は述べています。

ギルランダイオーがこの絵を描いた年には、モデルの貴族女性はすでに故人でした。とすると、画家はローマ詩人の言葉を逆手にとって、故人の姿は若いままだから、この絵は天下一と、ひとひねり入れた綺想を利用していることがわかります。

この絵には、まだまだ謎が潜んでいます。ブローチの竜はおそらく「永遠の名声」、ドレスの模様はフィレンツェのユリの紋章とかかわっています。こうして一枚の絵に秘められた何重もの「謎」を解き、その回答を見つけ出すたびに、そこには「あっ体験」がありました。授業ではこのような体験を毎回、皆さんと共有できるよう心がけています。

最終更新日:2011年12月06日
最終更新日の時点の講義内容で公開を行っております。
最新年度の講義と内容が異なる可能性がありますのでご注意ください。

ページトップへ

http://ocw.nagoya-u.jp/